大船渡市、釜石市の今の状況

今日の午前中、やっとやっと、お兄ちゃんから電話があった。家族全員無事、確認が取れている範囲での、大船渡市に居るお義姉さんの親戚も無事とのこと。安心した。何より、声が聞けたことがいちばん。
大船渡市からまた、学校のある釜石市まで向かう途中とのこと。沿岸地区は全く携帯電話が使えないが、途中の遠野市は電波が入るそうで、そこに着いたところで電話をくれた。
とにかくいま、いちばん困っているのはガソリンが無いことだそうだ。お兄ちゃんもこれから釜石市に行き、次に大船渡市の自宅に帰ってくる分しかないという。



大船渡市や釜石市の親族のことを書いているので、検索エンジンから情報を得たい人がたくさんここを覗いてくださっている。そこで、短い通話時間の中で得た情報を書いておこうと思う。



■15日10時40分確認の現在の状況
【沿岸道路】 海沿いの国道45号線は全く通れず。道路自体が無くなっている場所多数。
【仙人峠】 仙人峠は、旧道であれば通れる。新道は緊急車両しか通ることができない。※旧道は、誰でも通れるのか沿岸住民しか通してもらえないのかは未確認です。
【大船渡】 立根小学校、大船渡第一中学校は児童・生徒全員で避難し、無事。学校自体は現在は休校。
【気仙養護学校】 気仙養護学校は、当日学校にいた生徒と教員は全員避難して無事。気仙養護学校は、生徒やその親などが避難してきており、寄宿舎を使って生活している。
【釜石養護学校】 釜石養護学校(釜石祥雲支援学校)も、当日学校にいた生徒と教員は全員避難して無事。連絡が取れない生徒や親が亡くなってしまった子供が数名いる。詳細は不明。同僚の先生の中には、アパートごと津波に流された人も数名いる。
【釜石】 町全体ががれきの山。車もひっくり返っており、釜石駅付近も全く通れないような状態。
【大船渡】 大船渡一中は昨日から急遽、遺体安置所になった。無事に残っている大きな建物が一中ぐらいしかないため。
【大船渡】 学校からのお知らせは、スーパーなどの大きい施設に貼紙で知らせている。暫くは学校自体が休校。卒業式をやることができないし、4月からまともに学校が再開できるのか、全く分からない。どの学校も、避難してきた人の避難所になっている。
【大船渡】 立根町と隣町は被害が少なく建物も残っている。ポンプ汲み上げの家は断水でも市水道を引いている家は水が出ていたが、それも今朝から断水になった。一部、電気が復旧している。
【大船渡】 スーパーは何件かやっていて、ひとり野菜3品、カップ麺5個など、数量限定で売っている。
【大船渡】 一昨日から朝日新聞(?全国紙)が届いている。昨日からは岩手日報が届いている。
【大船渡】【釜石】 郵便は一切、届いていない。状況から、しばらく届くとは思えない。
【大船渡】【釜石】 まだまだ余震はあるが、だんだん体感回数は減ってきている。
【安否確認】 役所自体が流されたところもあり、戸籍などの資料も全くないため、安否や遺体の確認ができない。
【困っていること】 とにかくガソリンが無い。ガソリンが無いと車での移動ができないので、何もできなくなってしまう。
【困っていること】 食べ物や水は今のところあるが、この先、無くなることが心配。
【携帯電話】 携帯電話の電波は、沿岸地区は全く入らない。遠野市のような内陸に移動すれば、電波が入る。
【固定電話】 役所も学校も、全ての固定電話が不通。
【支援】 二次災害の危険が大きいのでボランティアも受け入れられないし、募集もできないでいる。
【支援】 海外からのレスキュー隊がヘリコプターで学校の校庭に到着しているのを見た。
【支援】 大阪や福井など、様々な遠いところからの救援物資が届いているのを見た。本当に有難い。



津波は本当に恐ろしい。町が何も無くなってしまった。大船渡市も釜石市陸前高田市も、町が町でなくなってしまった。津波の時は避難指定場所までが襲われるほど、予想を超える大きな津波だった。きっと、自分の知り合いの中にも亡くなった人がいるだろうが、今は分からないし知る術が無い。
自分たちの家は大丈夫だった。家族の無事が分かり、チビたちもじいちゃん宅に預けることができているので、自分も奥さんも生徒たちやその家族のために動いている。電気がないのでテレビも見られず、他の町がどうなっているのか分からない。新聞が届いたことで情報が入るようになった。携帯電話が使えないので車で移動することが多いが、とにかくガソリンがない。・・・これがお兄ちゃんが話していた全て。



携帯電話の電池もガソリンも心配なのであまり話せなかったが、とにかく元気な声を聞けてよかった。 「元気」 という言葉を何度も使っていた。安心した。 「今は何も送ることができないの」 と言うと 「あー、無理だよ、無理。こんな状態じゃぁ、個人が個人に荷物を送るなんて当面、無理だね。落ち着いたらお願いすることもあるだろうから、その時に宜しくね」 と言っていた。その時まで、私にできることをしよう。



携帯電話やパソコンでの安否確認やさまざまな情報。それらは被災地以外の場所だけで行われていること。それがよく分かった。
津波がどれだけ広範囲に渡り、町全体や太平洋側全体がどれだけ悲惨な状況か。きっと被災地にいる人たちより、テレビを見ている人たちの方がよく知っている。被災地の人たちは、自分が置かれている状況が今の全てだ。
被災地の人たちは被災地の人たちで、情報の無い中で頑張っている。
被災地以外の場所にいる人たちは、そこにいるからこそ出来ることをひとりひとりがやること。ずっと被災地に向けてリダイヤルをして心配しているよりも、生存を信じて連絡を待つこと。誰にでもできることはある。


岩手日報 【避難所にいる方々の名簿】  http://www.iwate-np.co.jp/hinanjo/list.html