まんまる満月

仕事帰り、いつものように空を見上げた。
大きくて煌々と輝く満月があった。
題して 『ライズシティ池袋エアライズタワーと満月』。

写真に撮ると、どうも美しさが伝わらない。
きっと、デジカメを使いこなせていない自分の腕が悪いのだろう。
自分の目で見たものの美しさは、機械を通しては再現できない。


義姉が出産が原因で亡くなった時、姪(上の子供)はまだ、幼稚園児だった。
お母さんが亡くなったということは、理解できていないようだった。
和尚さんは、幼稚園児の姪でも理解ができるように、と戒名に「月」の文字を入れてくださった。
『お母さんに会いたくなったり、話をしたくなったら月を見なさい。お月様はお母さんだからね』と。


今年のお正月、寒い夜に姪ふたりと、歩いて5分ほどのコンビニに行った。
とてもキレイな細い三日月の夜で、雲間に現れたり隠れたりしていた。
帰り道、ふざけるふたりに「ほら、お母さんが『危ないから、ふざけないで』って隠れたよ」と言った。
ふたりがふざけると三日月は隠れ、「ごめんなさい」と言うと三日月は顔を出す。
不思議だが、本当にそうだったのだ。
隠れては現れる三日月。
それが楽しくて、ふざけたり謝ったりを繰り返すふたりの女の子。
寒さも忘れるぐらい優しい時間だった。
義姉からのお年玉だったのかもしれない。
もう5年生になった上の子が言った。
「みんな、お母さんは満月だって言うけど、私は三日月だという気がするの」


義姉の名前が「まどか」だったので、「円」というイメージを大人たちは持っていたが
彼女の中では三日月だという。
お母さんのイメージは三日月だ、と。


いつも月に話しかけている姪の瞳には、たまにしか見られない満月よりも、三日月の方が
より多く映っているのかもしれない。
亡くなった時がどんな月だったのかは大人たちは誰も覚えていないが、もしかしたら
三日月だったのかもしれない。
この時代、ウェブ検索すれば検証できるのだろうが、そんな野暮なことは止めておこう。