GOD 忌野清志郎 告別式

あれから数日が経ち今日、忌野清志郎の告別式だった。行こうか行くまいかギリギリまで迷っていたが、部屋でDVDを観て泣いているよりは直接「ありがとう」を言うべきだと思い、青山葬儀所へ向かった。
地下鉄の青山一丁目駅で電車を降りて会場に向かうとすぐ、ファン用の長い列が出来ていた。14時15分に列に並び、献花を終えたのが18時過ぎ。この4時間は、長いような短いような不思議な時間だった。この列を作っている何千、何万という人ひとりひとりが清志郎への想いを巡らせているのかと思うと、全く知らない人のこの集まりが、なにかひとつにつながっているような気がしてならなかった。
まるでライブ会場への入場を待っている列のようでもあった。ただ、それと大きく違うのは、おしゃべりをする人が殆ど居ないこと。みんな無言で、それぞれの想いを巡らせていた。


並び始めて1時間ほど経った頃、係の方から芳名録カードを渡された。「表面には名前を、裏面にはメッセージを書いてください」とのこと。裏面に書くメッセージが浮かばない。どんな言葉も自分の気持ちを表現できていないようで、自分の語彙の貧しさに悩む。色々書いたが結局、言いたかったのは最後に書いた「ありがとう」だったと思う。


葬儀所が近付くにつれ、遠く聴こえていた清志郎の歌声が、徐々に大きくなってくる。
記憶が蘇る。そうだ、野外のライブと一緒だ!会場の音漏れが聴こえて「あー、清志郎が始まっちゃったよ!急がないと!」と言って駆け出してしまうような、そんな感じだ。
違うのは、一緒に聞こえるアナウンス嬢の明るい声が「お花をお持ちの方は…云々」「献花が終わった方は…云々」などの案内であること。
「本日は、アオヤマ・ロックンロール・ショウにご来場くださいまして、ありがとうございます」というところだけ聞いていれば、いつもの野外ライブと変わらない。「何で黒い服を着てきたんだっけ?」と思わせるような演出だ。


今日の告別式は告別式ではなく「葬儀式」。「AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW」という清志郎のラストイベントだ。
数時間待ってロックンロール・ショウの会場である青山葬儀所の門を入った瞬間、『トランジスタ・ラジオ』が流れた。曲が流れる中、メッセージを書いた芳名録を受付に出したところ、1枚のポストカードを頂いた。


表面には遺影と同じ写真の清志郎
07年のクリスマスに撮影した写真だそうだ。
右下には「イェーッ!!感謝For You!」の文字。


裏面にはギターケースの前に立つウサギ。
「AOYAMA SOUGISHO TOKYO JAPAN 2009.SATURDAY.MAY9 12:00a.m. 忌野清志郎」とある。
これじゃ、まんまライブ告知じゃないか。
本人の居ない、ラストイベント。


敷地に入ってまず目に入ったのが、大きなウサギのバルーン。
このウサギの足元には献花を終えた人たちが集まり、会場に流れる清志郎の音楽に合わせ、一緒に歌っていた。
まるでライブ会場のようだ。
脇のテントには名残惜しくて帰れない人たちがたくさん座って、清志郎を偲んでいた。


祭壇のある会場前に掲げられた大きな看板「忌野清志郎 葬儀式」。
右下にはウサギが居る。
この看板に辿り着く少し前、『スローバラード』が流れた。くねくねと曲がった列ですれ違う人たちは殆ど泣いていた。ギターケース片手にボロボロ涙を流している男性もいた。
その後の『ガチャガチャうるさい…』では声を出して歌っている人がたくさんいた。
誰もが歌を口ずさみながら、目を真っ赤にさせていた。


会場入り口の上に掲げられていたのが、これ。
「完全復活祭 日本武道館 2008年2月10日」。
全国の清志郎ベイベーが待ちに待った復活の日

この場所では遺作の「Oh!RADIO」が流れていた。
聴きながら、号泣して歩けなくなっている女性も居た。


葬儀なのに紅白幕が張られた会場。
バラの花を1輪受け取り祭壇へ向かう。ピンクの縁取りの遺影なんて見たことがない。
これはギャグなんじゃないか?と思った。大掛かりなドッキリじゃないのか?とも思った。
祭壇の前には、愛用の自転車やギター、アンプなど色んなものが置いてあった。どれもこれも楽しそうなもので、遊び場のようだった。
献花をし「ありがとう」を心の中で何度も何度も言った。
祭壇の前に立っても、不思議と「清志郎が死んだなんて嘘なんじゃないか」と思えた。


献花を終え会場を出たところ、ウサギバルーンの足元に、懐かしいポスターが飾ってあった。


ファンから贈られたたくさんの千羽鶴も飾られていた。


しかし、どれもこれも告別式の写真とは思えない鮮やかな色彩だ。


そして、ウサギの足の間には、ライブで使っていたコタツ
その上にはTHE TIMERS(ザ・タイマーズ)の時に被っていたヘルメット。
どれもこれも懐かしいものばかり。
献花を終えても、これら懐かしいものたちや曲たちを惜しむ人でいっぱいだった。


私が会場を後にした18時時点で、この人の数。
〜キヨシを 忘れられず 青山は このありさま〜
まだまだ献花は続きそうだった。
そしてこの献花の列のほかにも、会場を囲むように座り込んでいる人たちがたくさん居た。
みんな別れを惜しんで、流れる音楽を聴いて一緒に口ずさんでいた。
この場所を出てしまうと自分の中の何かが終わってしまうようで出られない、そんな気持ちだった。

こうして清志郎を想っている人が、全国にどれぐらいいるのだろう。清志郎の真っ直ぐな歌詞に救われた人が、愛を教えてもらった人が、間違っていることに対して声を上げることの大切さを知った人が、どれぐらいいるだろう。
清志郎が『オーティスが教えてくれた』と歌ったように、私たちも『清志郎が教えてくれた』たくさんのことを忘れない。
いっぱいいっぱいありがとう、清志郎


満月の夜に。