宮沢賢治 と 吉本隆明 と 私

なんと、おこがましいタイトルをつけたもんだ。でも今日、書こうと思っていることをまとめると、こういうタイトルになってしまう。タイトル先行型で日記を書く私。おふたりには申し訳ないが、仕方がない。


私の実家は10年ほど前に引越しをして今は、宮沢賢治が愛したふるさと花巻市から、車で20分ぐらいのところにある。

その時すでに東京に住んでいた私。学生の時、卒論のテーマに選んだほど宮沢賢治が大好きだと知っている兄は、私が帰省するたびに宮沢賢治ゆかりの地や施設に連れて行ってくれた。夢中になる私に呆れ、 「ゆっくりしていいから、帰りは電車で帰ってね」 と兄だけ先に車で帰ってしまったこともある。
宮沢賢治に興味を持ったきっかけは何だったかなぁ。小学生の時に暗唱させられた 『雨ニモマケズ』 かなぁ。もちろん、今でも暗唱できるが、田舎のイントネーションで覚えたため、田舎訛りでないと暗唱できない。私の暗唱は 「リアル 『雨ニモマケズ』 」 だ。


これは、花巻市のお隣、宮守村 (現在は遠野市宮守町) にある 「めがね橋」 。

めがね橋という名前のアーチ形をした橋は日本中にあるが、このめがね橋はちょっと特別。宮沢賢治が、 『銀河鉄道の夜』 のモチーフにしたと言われている橋なのだ。土木学会選奨土木遺産になっているそうだ。
いま、この橋の脇は道の駅になって整備されているので、ゆっくりと眺めることができる。とても美しい橋で、ずっと見ていると不思議といろんなことが頭に浮かんでくる。記憶を呼び起こしてくれるような風景なのだ。この写真を撮った日はとてもイイ天気で、橋も山も空も、まるで絵に描いたものを見ているようだった。どれが欠けても完成しない絵だね。


めがね橋は、JR釜石線が走っている現役の橋。東京のように頻繁に電車が走っているわけではなく、上りも下りも1〜2時間に1本しか走っていない。それが何と、たまたま私が居た時に列車がぁ!! 「うわぁー、見て見てー!銀河鉄道だよー!!」 と大興奮の私を見て、兄も姪たちも笑っている。とにかく 「銀河鉄道だー!」 と何度も叫んだのを覚えている。ジョバンニとカムパネルラが乗っている様子を想像する。決して鉄郎とメーテルではない。
列車が通ったのは、本当に偶然。 「列車が来ればいいなぁ」 と言いながら橋の写真を撮っていた私の気持ちが通じたんだ!と今でも思っている。



6月29日の日記に、吉本隆明さんのことを書いた。吉本隆明さんは宮沢賢治の研究家としても知られている。私が吉本隆明さんに興味を持ったのは、それも理由のひとつだ。去年の今頃、吉本隆明さんの宮沢賢治賞受賞が発表された。秋に行われた贈呈式での吉本隆明さんのご挨拶がとても素晴らしく、それによって過去に自分が読みまくっていた賢治作品の本当の面白さが分かった気がした。と同時に、私の卒論って何だったんだろう、と恥ずかしくなった。あー、あの卒論を書き直したい!
吉本隆明さんのご挨拶は、宮沢賢治学会ほぼ日サイトで読むことができる。吉本隆明さんが広い空なら、私は右下に写っているボロ小屋よりもちっちゃいなぁ。

実は、宮沢賢治学会は、宮沢賢治が好きな人なら誰でも入ることができる。ずっと興味があったので、ネットで過去の会報を読んでいたら・・・私の卒論の先生の文章がっ!先生が好きだったから宮沢賢治を選んだのか、宮沢賢治を書きたくて先生を選んだのか忘れたが、すごく素敵な先生で、その先生に褒められたくて頑張ったんだよね。しかし出来上がった卒論は、自分でも酷いと思う薄っぺらい内容だったなぁ。先生、ごめんなさい。恥ずかしくて宮沢賢治学会になんか入れないわ。




夏休みに帰省したら、また花巻に行こう!花巻は、空がとても広いから大好き。
イギリス海岸に行って、川を眺めながら妄想しよう。賢治記念館に行って、賢治の想いを汲み取ろう。童話村に行って、ほんわかしよう。田んぼを眺めて、無になろう。私が使わせてもらっている 「ミザントロピィ」 について、もっと考えてみよう。
賢治は何でミザントロピィだったんだろう。 


大人なのに、夏休みの宿題を出されたみたいだ。ちょっと楽しみ。東京に戻るときは、実家で眠っている宮沢賢治全集を抱えてこようっと。


・・・今日の重量【前日比+0.4kg、基準日比−1.8kg】 ← やっぱり幻だったみたい