我が家の秋

17日は、下のチビ (姪っこ) のお誕生日。そして20日は、お義姉さんの命日。17日にチビを出産し、その手に抱くことなく遠くに行ってしまったお義姉さん。チビはお誕生日で9歳になった。早いなぁ、もうそんなに経つんだね。20日はお兄ちゃんと今のお嫁さん、お義姉さんの両親と弟一家がうちに集まったそうだ。チビふたりは学校があるため実家には来なかったらしい。その場を想像すると、人の繋がりって不思議。一体、どんな雰囲気だったのだろう。遠くに居る私には分からないが、 「とにかく10年の区切りがついて、みんなホッとしていた」 とはお母さん談。


9年前の10月、天国から3日後に地獄に落とされたお兄ちゃんは、それから毎年、秋になると心と体の調子を崩す。あの時のお兄ちゃんの様子を見ている私たち家族には、それが充分に理解できるし、お兄ちゃんの複雑な気持ちをどうしてやることもできず、とても辛い。秋はいちばん好きな季節だが、同時にいちばん重い季節でもある。鮮やかな紅葉を楽しみながらも、その奥の曇天がたまらなく切ない。


上のチビが生まれた3年後ぐらいに、新しいお家を建てたお兄ちゃんとお義姉さん。うちの両親に 「同居しよう」 と声を掛け、新しいお家に呼んでくれた。ずっと住んでいた沿岸の町から、車で2時間以上かかる内陸の町への引越し。両親は田舎を離れるのが寂しいと言ったが、お兄ちゃんたちとの同居を選んだ。お兄ちゃんとお義姉さん、チビ、両親の生活はとても賑やかで、楽しそうだった。同居だから色々あっただろうが、お義姉さんは養護学校の先生で体の不自由な家族にも理解があり優しい人だったので、とても上手に両親と接してくれた。私もお盆やお正月に実家に帰るのがとても楽しみだったなぁ。
お義姉さんは、 「純朴」 という言葉が歩いているような人だった。一切、飾ることはしない人で、とってもとっても優しい人。田舎の訛り言葉にやわらかい声がぴったり合っていて、その響きは本当に優しかった。今でもはっきり、その声を思い出すことが出来る。


うちの両親は何かあると、仏壇のお義姉さんに報告する。ラッキーな出来事があると 「Mさん (お義姉さんの名前) のおかげだね」 と言う。美味しいモノを仕入れた時は必ず先に、仏壇にお供えする。お母さんは、いつもいつも仏壇のお義姉さんに話しかけている。お父さんは、 「大嫌いな心臓の検査のときはいつも 『Mさーん、助けてー』 と心の中で叫ぶんだ」 と笑う。たった数年の同居だったが、どれだけ日々が充実していて楽しかったのかが想像できる。


4年前、夏休みに帰省した時に、お兄ちゃんとチビふたりと私で、遠野に行った。うちから車でちょっと走れば行ける距離なので、ぶらーっとドライブ。遠野市柳田國男の 『遠野物語』 で有名な民話の里。古くからの信仰が息づいており、独特の空気が漂う町だ。遠野にはオシラサマ信仰がある。オシラサマは家の神。伝承園という施設には、千体のオシラサマが飾られている。薄暗い光の中に居る千体のオシラサマ。日常では感じることがない独特の濃厚な空気。背筋がぞぞっとするような怖ささえ感じる (画像はこちらのサイトで) 。

そこには真ん中に切込みが入った布が置かれており、それに願い事を書いてオシラサマの頭に通し、願をかける。上のチビに 「何て書いてるの?」 と聞いたところ、両手で隠し、絶対に見せてくれなかった。
帰り際、チビがオシラサマに掛けた布には 「おかあさんにあえますように!」 と書いてあった。
そのときチビは3年生。口には出さないけれど、どれほどお母さんに会いたくてたまらないんだろう、と私もたまらない気持ちになった。お義姉さんが亡くなったとき幼稚園児だった上のチビには、お母さんの記憶があるんだもんね。

秋の一日、両親は、お兄ちゃんは、チビたちは、今のお嫁さんは、お義姉さんのご両親は、弟は、それぞれどんな思いで過ごしたのだろう。
明日は満月。お義姉さんの戒名には 「月」 の文字。うちの家族は満月を眺めながら、秋の夜長に何を思うのだろう。



・・・オマケ・・・
大地讃頌】 同僚と懐かし話で盛り上がり、急に聴きたくなった合唱曲。いいなぁ。懐かしい。