地震から4日

地震が起こってから、家族にとっても、ふるさとにとっても、東北地方にとっても、日本にとっても、いろんなことが変わってきている。あんなに今までエコ!節約!と叫ばれていても大きく動かなかった世の中が、変わってきている。
節電。意識していた人は実行していただろうが、全く気にしていなかった人もいるだろう。昨夜、計画節電が行われる、と発表され、強制的に地域ごとに数時間、停電することになった。



今朝、計画停電実施の影響で通勤先の埼玉支店までは電車が行かないことを知り、元々の自分の会社がある赤坂へ出勤した。久々に会う同僚たちからは、家族の様子を尋ねられた。無事を伝えると皆、 「あー、本当に良かったね」 と言ってくれた。付き合いの長い同僚女子たちは、私のおばバカぶりをよく知っている。姪っ子たちと連絡が取れないことも伝えてあった。メールでは無事の確認ができたことを報告していたが、みんな私の顔を見るなり 「良かったねぇ!」 と言いながらハグしたり、ボロボロ涙を流してくれたりした。同じくおばバカの同僚は 「ごめんね、電話やメールをしなくて。凄く心配していたんだけど、聞くのが怖くてできなかったの」 と泣きながら言ってくれた。どの言葉も、本当に有難かった。
赤坂で少し仕事をしていると、電車が動いていない埼玉に住んでいる人たちが出勤してきた。どうやって埼玉から来たのか聞いたところ、上越長野新幹線で大宮から東京駅まで来ることができた、とのこと。私も新幹線を使って、支店に向かうことにした。



東京駅の上越長野新幹線は、東北新幹線と同じホーム。いつも帰省する時に使っているホームだが、今日は同じホームとは思えないほど静かだった。反対側のホームには、東北新幹線の車両が、人を乗せることもなく静かに止まっていた。
上越新幹線がホームに入る時間が近付くと、自由席車両のドア前には大勢の人が並んだ。見ると、救援物資らしき大きな荷物を持った人が何人もいた。雑貨の入ったドンキのビニール袋、紙おむつ、食料が入ったダンボールなど、どれも大きな荷物だ。東北新幹線は不通のままなので、新潟経由で東北へ向かうのだろう。社員の様子を確認に行くのか、会社へ出発の報告をしている人もいた。



地震から4日。私の携帯電話には毎日、いろんな人から嬉しいメールや辛いメールが届く。その度、心から喜んだり、悲しくて涙を流したりする。被災地にいる方々は、それを自分の目で全て見ているのだ。どれほどの心労だろう。
この日記にもよく登場する同僚のトップ営業ウーマンMは、宮城県古川市出身。地震の当日、お兄ちゃん家族と連絡が取れないと送った私のメールに、 「うちは大丈夫だって。Lちゃんちの家族もきっと、大丈夫だよ」 と返信をもらっていた。昨夜、家族の無事が分かったので 「やっと連絡が来たよ!」 とメールで報告したところ、 「お母さんが死んじゃった」 と返信が届いた。
無事と聞いていたので理解できないでいたところに、Mから電話が掛かってきた。涙声だった。 「どうして?地震の時は大丈夫だったって言ってたのに」 と言うと 「避難所に逃げる途中、転んで死んじゃったんだって。すぐに行きたいけど、どうやって行ったらいい?」 と聞いてきた。東北新幹線は不通。仙台空港は機能していない。山形空港まで飛行機で行けないか調べたが、東京発も名古屋発も満席。新潟経由や、東京から車で行くとかいろいろ考えたが、時間的に厳しい。結局Mは今朝、新幹線で大阪に行ってお姉さんと合流し、そこから車で実家に向かった。 「早く、手を握ってあげたい」 と言っていた。



今日の午後、中学の同級生からメールが届いた。と言っても、彼の携帯電話からではなく、彼のお母さんの携帯電話からのメールだった。私のお母さんと彼のお母さんは、小学校の同級生。宮古市で育ったお母さんたちは、70歳を過ぎても未だに 「ちゃん」 付けで名前を呼び合うほど仲が良い。いつも電話をしたり、メールをしたりしている。そして私も、彼のお母さんとはメル友だ。
地震のあと、自分のお母さんとなかなか連絡が付かなかったので、おばちゃんのことも気になり、安否確認のメールを送っていた。おばちゃんの家は海も大きな川も近く、土地も低い。あんなに大きな津波が来たら、確実に家は襲われているだろう。おばちゃんのご主人は遠洋漁業に出ていて怪我をし、足を切断しているので、ひとりでは動くことができない。おばちゃん家族が無事に避難できたのか、ずっと心配していた。彼は充電のためにおばちゃんの携帯電話を預かり、私からのメールに気付いてくれたようだ。
「父も母も無事に避難しています。姉も病院にいますが、大丈夫です」 とのこと。良かったぁ。安心して、大きく息を吐いた。私もうちの家族の無事をメールで報告し、その後すぐにお母さんにメールを送った。 「ひーちゃん(同級生)からメールが来たよ!玉枝ちゃん家族、おじちゃんも無事だって!」 と。暫くしてから返信が届いた。 「あー、良かった、良かった。無事でいれば、あとでゆっくり話せる時が来るもんね」 と。電話が不通でも、時間は掛かるがメールは届くから、本当に助かっている。



今日、会社で同僚たちが 「トイレットペーパー買えた?」 という会話をしていた。 「何?なに?それ」 と聞いたところ 「トイレットペーパーとか乾電池とかカップラーメンとか、とにかく品薄でどこにもないんだよ」 とのこと。昨日まで家族のことで頭がいっぱいで、そんなことになっているとは気付かなかった。そういえば昨日、小型ラジオと充電器と乾電池を買うの、大変だったよなぁ。でも、トイペまで!?
仕事帰り、ドラッグストアに寄って驚いた!棚がスカスカ。トイペも箱ティッシュも紙おむつも、在庫ゼロ。こんなことになっていたのか・・・。そういえば今日、社用車のガソリン給油が出来なくて、大騒ぎしていたもんね。コンビニの食料がスカスカなのは知っていたけど、生活用品もそうなんだ。うちのトイペ、あと5個で終わりだ。どうしよう!
帰りの商店街は、いつもより早めにシャッターを下ろしているお店が多かった。シャッターの貼紙を見てみた。お寿司屋さんは 「材料の確保が困難なため」 、電気屋さんは 「節電のため」 、100円ショップは 「商品の補充が難しいため」 等など。私が考えていたより、大変なことになっている。



今朝、ガソリンスタンドでガソリンを入れてきたお父さん。 「ひとり2000円分しか入れられなかったんだよ。値上がりしているのに」 とお母さんからメールをもらっていた。
夜になると、 「今日、町役場からメールが来て、明日からガソリンは売らないんだって。救急車のような緊急車両の分だけしか無いからだって」 とメールが来た。田舎では、車が足なのに。夜、電話が来たときに、今日のトイペの話をした。 「あら、そういえばみなさんが車いっぱいに買って来ているのを見たけど、そうなの?そっちに売っていないなら、こっちから送ろうか」 と言う。 「私のことより、自分たち用の確保をしてちょうだい。この先、お兄ちゃんたちも必要になるかもしれないから、お互い生活用品をある程度、確保しておこうね」 と話した。
インフルエンザ流行の時にマスクがなくなったように一時的なものならいいけど、商店街のお店自体がこれほど納品が難しい状態にあるとなると、どうなのかな。私も明日、トイペを探しに行かないと、本当に手に入らなくなるかもしれないな。
冷静に、冷静に。