「自粛」 と 「萎縮」

ネットで 『 「誰のための自粛なの?」 乙武洋匡の"不謹慎厨"に対する思いとは!?』 という記事を読んで、いろいろ考えさせられた。
大震災以降、ネット上で 「不謹慎」 という言葉を目にすることが多くなった。この大変な災害が起こったときに遊ぶのは不謹慎、お酒を飲むのは不謹慎、お花見をするのは不謹慎、ドクロのマークが付いた服を着るのは不謹慎、ライブで騒ぐのは不謹慎、旅行に行くのは不謹慎、不謹慎!不謹慎!!毎日、不謹慎と批判される記事ばかりが目に付く。



それが不謹慎かどうか、その判断は人それぞれ。乙武さんが正しいとも間違っているとも言うつもりはないし、私にも私なりの意見がある。
田舎の家族や親戚、友達たちが被災し、電気・ガス・水道が不通の日々を送っていた大震災当初。私はご飯を食べる時も、お風呂に入る時も、お布団に入る時も、昨日とは違う服を着るときも、スーパーで買い物をしている時も、とにかく何をする時も申し訳ない気持ちでいっぱいだった。自分の行動のひとつひとつが、被災地のみなさんが失ってしまった日常。それをいつも通りにこなしている自分が、何だか罪深い人間になったような、そんな気さえした。
ただ、普通のそれを行うことは決して、遠慮すべきことではない。それが、被災地以外の人たちの日常なのだから。そう思えるまでには時間が掛かったが、今は自分の日常生活の中で、自分ができることで協力すべきだと思っている。



不謹慎とそうでないことの境目は、どこなのか。それは人それぞれの気持ちだから、簡単にラインを引くことはできない。日本中が自粛、自粛。いつまで続くのか、自粛ムード。乙武さんのインタビューにこういうことが書いてあった。

集客や停電の影響があっての中止なら分かるけど、例えばまったく関係のない西日本でも自粛するというところには疑問を感じますね。本当に被災者の方々、被災地のためを思っての"自粛"なのか、この時期に開催をして批判を浴びることを恐れた自分たちのための"自粛"なのか。後者であれば、それは"自粛"ではなく"他粛"ではないのか、と。
それをTwitterに書いたところ、フォロワーさんが 「それは "自粛" ではなくて "萎縮" ではないか」 と言っていたんです。すごくうまいこと言うな〜と思いましたね (笑) 。

確かに、うまいことを言うものだ。 「自粛」 と 「萎縮」 。いろんな意見があるだろうが、被災地以外の地域が元気でいないと、被災地のみなさんに協力することもできない。いま一度、それぞれがきちんと考えるべきではないだろうか。




今年の東京都内では、各所のさくら祭りも自粛。電力不足と大震災直後ということから、六義園のしだれ桜も、上野公園も、千鳥ヶ淵も、ライトアップは中止。昼の青空の下、桜を眺めるという、静かなお花見となっている。こういう楽しみ方も良い。桜の木の下でお酒を飲んで大騒ぎするお花見より、私は静かなお花見の方がずっと好きだ。



仕事帰り、節電で早々とシャッターを下ろしたアーケード街を抜け、少し遠くのスーパーへ行った。いつもと違う道を家に向かうと、うちのワンブロック先にある公園で、1本の桜が満開となっていた。
うわぁ、全く気付かなかった!
さっそく、桜の木の下に立ってみた。公園の薄暗い灯りの中で、立派な桜の大木は、濃いピンク色の花を咲かせていた。
まるで、黒地に桜が描かれたお着物みたいだ。暗い夜の桜も良い。


図らずも、 完全ひとり企画 「エブリデー・さくらデー キャンペーン」 2日目クリア!
しかし、さすがに暗い。。。持っていたコンデジで何枚か写真を撮っている時に、フラッシュのボタンを押したらしく、撮ってしまったのがこの写真。あらー、本当に満開だねぇ。実際はもっと色の濃い桜。これは、昼間に見ないともったいないね。


明日はまた晴天の暖かい一日になるそうだから、早起きして、また桜の木にご挨拶しようかな。
早起きかぁ。。。うーん。。。