いろいろな考え

3月に入ると、 「大震災から○年」 という言葉を聞く機会が増える。日々、震災関連の記事が掲載されている新聞 「岩手日報」 にも、いつも以上に震災関連の記事が増える。
今日、web岩手日報で読んだ記事 『震災直後に入学…感謝の巣立ち 沿岸各高校で卒業式』 。会社に着いて、業務開始までのわずかな時間に読んだのだが、うーん、たまらない。
リンクは何れ切れてしまうだろうから、ちょっとだけ記事の中の言葉を記録しておこう。


「同じ制服を着て学校に通い、勉強や部活動ができる。当たり前のことに喜びを感じる高校生活だった」
「たとえ仮校舎であっても母校。被災地復興の力、光になれるよう努力を重ねる」
「中学の卒業式は中止や縮小を強いられ、入学式は20日間遅れた。鉄道網が寸断され、3年間送り迎えをした保護者もいる」
「入学式では全員分の制服がそろわず、服装もまばらな状態で高校生活が始まった。3年後の卒業式では全員が同じ制服に身を包み、人生の門出に立った」



私は、生まれ育った町がこんなことになってしまったのを、実際に見ていない。大震災から3ヵ月後に帰省したときにはもう、写真のこの町は、更地になっていたから。この写真の中に、たくさんの同級生たちの家があるはずなのに。私が小学校まで通った通学路があるはずなのに。


震災復興イベントで、被災地ゆかりの商品を販売している東京在住の友人。高校の後輩夫婦ということで、ときどき情報交換をしているのだが、その友人がイベントであるご婦人に言われたそうだ。
「復興、復興って、私たちはいつまで支援すればいいの?」 と。
友人は、言葉を返すことができなかったそうだ。
誰がそれに言葉を返すことができるだろう。そんなことを言う人がいるなんて思ってもみなかった。それは、とても悲しいこと。


戦争のシーンがテレビ画面に映ると、チャンネルを変えるおばあちゃんを知っている。そのおばあちゃんは、 「もう、戦争なんて思い出したくない」 と言っていた。忘れずに語り継ぐ活動をする人たちがいる一方、あのおばあちゃんのように、忘れてしまいたい人もいる。
世の中には、いろんな考えの人がいるんだよね。それはよく分かっている。分かっていても、やり切れない思いってあるんだよなぁ。