2014年3月11日


たぶん、3月12日から次の3月10日までは明日のために前を向いて生きて


たぶん、3月11日は立ち止まって海を眺め、あの日のことや、居なくなった人たちに思いを馳せて


たぶん、それはこの先ずっと変わらないのだろう


今年もこの日に、海に向かって手をあわせながら、そんなことを思ったり。




1年目、2年目の3月11日は、地元に帰ることが出来ないのならせめて外海の太平洋へ、せめて東へ、ということで銚子まで出掛けていたが、今年はどうしても銚子まで行くことができず、舞浜の東京湾で手を合わせた。
月日が経って変わるもの、そして全く変わらないもの。そういう色んなことを考えるきっかけをくれる、一年に一度の大切な日。


メディアで伝えられる、美談。地元でひっそり伝えられる、耳を塞ぎたくなるような話。3年が経ち、同じ 「被災者」 だった人たちが、それぞれの方向に歩き始めたことで生まれる歪み。もちろん、歩き始めることすら出来ずにいる人たちだって、たくさんいる。
ビートたけしが震災後、こう言っていたそうだ。 「人の命は2万分の1なんかじゃない。そこには 『1人が死んだ事件が2万件あった』 ってことなんだ」 と。
それぞれの事情が、月日が経つことで徐々にあぶり出しのように、はっきりと輪郭を現してきている。それが現実。


「復興の完成形なんてある・・・?」
地元の同級生のこの問い掛けに、 「そんなの無いよ」 と返すことは正解なのだろうか。無い、のなら、地元の人たちはいつまで頑張り続ければいいのだろうか。次の世代も、その次の世代も、見えない何かを背負ったまま歩き続けないといけないのだろうか。
私が生まれ育った海沿いの町は、3年経った今もまだ、更地のままだ。