訃報を聞くと思い出す出来事

小さい頃から葬式に出ることが多かった。両親の兄弟が多く、特に父方は親族が多かったから。小学生の頃は「何でうちは、お葬式ばっかり出てるんだろう」と思った記憶もある。
死に対しては、それぞれ色んな考え方があるだろう。小さいときからいろんな死を見てきたからか、私の頭の中には常に「いま死んだら」とか「死んだときには」という"死へのタラレバ思考"が存在している。夜、寝るときも「明日の朝、死んでいて目覚めなかったら」と怖くなることもある。
はてなでこういう綴りを始めたきっかけも、書きたいテーマがあったり他人に読んで欲しいということではなく、「自分が死んだときに、友人たちや遠くに住んでいる家族が『こんな毎日を過ごして、こんなことを考えていたんだ』と知ってくれたらいいな」という思いからだった。


先日の忌野清志郎の死は他のベイベーたちと同じくすごくショックで、ネットで更新されるニュース記事やブログを読んでは泣き、部屋ではずっと清志郎の音楽を流している。
清志郎はミュージシャンとして素敵な作品をたくさん残してくれたし、ネットで在りし日の姿を見る事もできる。清志郎を知っている人はたくさんいて、たくさんの人に愛されて、たくさんの人に惜しまれて。
これから先、テレビで映像が流れたり、街で曲が流れたりする度に、清志郎のライブを思い出すだろう。


だが、ごく一般の生活をしていた人の死後は、そうはいかない。生きている人が意識して思い出さなければ、ふと思い出すという機会は滅多にない。
私は中学の時の親友を仕事中の事故で亡くしている。彼女とふたりだけで話したこと、ふたりだけで聴いた音楽、ふたりだけで行った場所、そんな思い出たちは語り合って楽しむことはもう不可能で、私の胸の中の奥の奥のずっと奥にしまわれている。
彼女に限らず、亡くなった人とのふたりだけの思い出は全て、語り合う相手を無くし、どうしたらいいか分からないまま私の中だけに存在している。


小・中学校の同級生で、高校生の時にバイク事故で亡くなった男の子がいる。
それは高校の部活を終えた、学校帰りのことだった。小さな田舎町の駅前を友達と歩いていたところ、中学の時の同級生が走ってきて声を掛けられた。中学の時は学校でいちばんの手の付けられない不良だったK君だ。
K) ね、血液型なんだっけ?
私) おー、久しぶり!いきなり何?
K) 挨拶はいいんだけど、血液型おしえて!
私) 何?占いでもやってんの?
K) いいから、何型?
私) Bだけど、何か面白いことあるん?
K) Sがバイクで事故って血液が足りないんだ。B型じゃダメだな。急いでるから、じゃあね。
この会話の数時間後、S君は亡くなった。ショックだった。K君がS君のために必死で血液を集めようとしていたのに、はしゃいで会話した自分が恥ずかしくてたまらなかった。
翌日は授業に出ても頭に入らず、具合が悪くなってきたので保健室に行った。保健の先生は若い女の先生で、人気がある先生だった。
先生は私が泣いてばかりいるので理由を聞いてきた。「友達がバイク事故で死んだの」と言うと先生は「そっか。気持ちは分かるけど、その子の家族の方があなたよりも、もっと悲しいはずだよ」と言った。
更に先生は続けた。「先生の友達は、彼氏がバイク事故で死んだの。たぶん、もっと悲しかったと思うよ」と。


その瞬間、涙が止まった。先生の言葉が信じられなかったからだ。
先生は私を慰めたの? 「もっと悲しい」って何? 悲しさにレベルがあるの?
悲しさには大小があって、親族や恋人以外は泣いてはいけないの?


それ以来、卒業するまで、どんなに具合が悪くても保健室には行かなかったし、その先生とは口を利かなかった。
その人にしか分からない故人との関わりや思い出があることを、先生は考えなかったのだろうか。
確かに故人との関わりの深さによって悲しみの大きさは違うだろう。だがそれは、他人と比較すべきものではない。その個人の中で感じる悲しみの大小だけであって、他人には決して分からないものだ。
あの先生は今でも保健室で生徒の悩みを聞いているのだろうか。
生徒からたくさんのことを学んでいるといいが。


清志郎の死は、たくさんの人が悲しんでいるだろう。もちろん、家族やバンドメンバーや友人の悲しみは計り知れない。
だが、それと一ファンの悲しみを比較するなんてバカなことは誰もしない。
誰もが清志郎を愛し、愛され、曲に救われたのだ。その愛する対象を失って悲しんでいるのだ。
保健の先生、そいういうことなんだよ。