立川談笑 月例独演会 其の96回

MJの 「THIS IS IT」 をグズグズで観た2日のその夜、国立演芸場立川談笑さんの月例独演会を観に行った。
いくら芸術の秋とはいえ、こういう鑑賞モノを一日の中でハシゴしてはいけない。それぞれの感動濃度が薄くなってしまう。それは十分に分かっていたが、スケジュールの都合上、そうなってしまったのだ。

MJの楽しくも、しんみりした気持ちを一旦切り替えようと、有楽町のビッグエコーで、この間デビューしたひとりカラオケを2時間満喫してから国立演芸場へ。
小雨がパラつき、風も出てきたので、かなり寒い。しかもMJ鑑賞後にトイレに行って手を洗ったときに上着の袖口を左右とも濡らしてしまったため、腕が冷たい。
1Fロビーで家から持ってきたおにぎりで腹ごしらえをして、2Fの会場へ。談笑さんの本とCDを販売しており、買った人は独演会終了後にご本人がサインをしてくれるという。悩みに悩んだ末、今日の購入は止めておいた。



今日の三席は、こちら。枕の程よい毒舌から、 「粗忽の釘」 。汗を拭き拭き、たくさん動いた 「看板の一(ピン)」 。お仲入りの後、熱のこもった 「富久」 。メリハリの効いた構成で、今日も楽しませて頂いた。
三席目が終わってどん帳が下りてきた。そのどん帳を途中で制し、「少し時間を」 と再び談笑さんが語り始めた。先月29日に三遊亭円楽さんが亡くなったが、同じ日に立川流立川文都さんも亡くなった。談笑さんは、兄弟子である文都さんの話を始めた。連日、ワイドショーで放送される円楽さんと、同じ噺家の文都さん。この違いに思うところがあったのだろう。

談笑さんが語ったのは、こういうことだったと記憶している。
一門を率い、笑点の司会を長く務めたことでTVにもたくさん出ていた円楽さん。一方、いろんな落語会に参加しながら地道に落語を続けてきた文都さん。同じ日に亡くなったのだが、世間の扱いは両者で全く違っていた。
落語という文化を支えてきたのは 「名人」 と言われた人ではなく、そうやって目立たないながらも色んな場所で落語を聴かせてきた人たちだと思う。名人の音源を探してCDで聴くよりも、落語会に足を運んで、「今」 の生の落語を聴いて欲しい。


談笑さんの話を聞いて、はっとした。円楽さんの訃報がネットやワイドショーで伝えられた時、「ともに四天王と言われた立川談志さんのコメントは・・・」 と目に耳にした。
自分の弟子が同じ日に亡くなってしまった談志師匠に、文都さんへのコメントを求めたマスコミがあっただろうか。亡くなられた時間にかなりの差があるにせよ、翌日も翌々日も、少なくとも私の目や耳には入っていない。談志師匠はそれを、どう感じたのだろう。そして側に居た立川一門の噺家たちは、どう感じたのだろう。談笑さんは慎重に言葉を選びながら話していたが、その言葉ひとつひとつが何とも表現しがたいが、静かでありながら重く、熱く、切なく響いた。
帰りの冷たい雨と北風が、余計に身にしみた。



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つるこうでおま!   笑福亭鶴光さんの今日のはてなブログに文都さんのことが書かれています