人の死について

今日の午後、私がいま常勤している取引先の部長さんが亡くなった。同僚の鉄子ちゃんが可愛がってもらっていた部長さん。
13日の日曜日の帰り、照明を最小限に絞ってフロアーでひとり残業する部長さんの背中が寂しそうで、帰り支度を済ませた私たちは、部長席を遠巻きに眺めていた。鉄子ちゃんに「この哀愁漂う後ろ姿の写真、撮りなよー!」と言って携帯で写真を撮らせ、部長に「あははは!」と笑われたのが、部長を見た最後の姿になってしまった。
いつも通り「お先に失礼しまッス!」と言い、「お疲れ様〜!」と返してもらったのに。この翌日に倒れて意識が戻らず、そのまま一生、会えなくなってしまった。


今日から三連休だった鉄子ちゃん。夕方に訃報を聞いて居ても立ってもいられず、就業時間終了間際に会社に到着。同僚Aちゃんと部長の部下Nさんを呼び出し、4人で献杯
部長の思い出を語りながら、部長が好きだったメニューをオーダーし、笑ってお酒を飲んだ。時折、涙ぐみながら部長のことを話す鉄子ちゃんを、見ないようにした。言葉も空気も、何よりこの現実が辛かった。


今日はもうひとつ、訃報が入った。元同僚で、会社を辞めてからも時折、一緒にお酒を飲むK。
昨日、関西でご両親が住む実家が全焼し、焼け跡からお母さんが遺体で見つかった、と本人からのメール。あまりにも辛すぎて、そのメールにレスする言葉が見つからない。
数ヶ月前に初めてのベイビーが生まれたばかりで幸せいっぱいだったのに。
本人もパニック状態で、普通に話せる状態ではない。そうだろう。


今の今まで元気だった人が突然亡くなる悲しさを、私も知っている。
いま自分が居る現実世界は夢なのではないか、と本気で考えててしまう。自分がいま何をしているのか、誰かに操られて今を演じているだけではないのか、と思ってしまうのだ。

今日は20時スタートのライブに行く予定でチケットも持っていた。バンドのブログにも、楽しみです!的なコメントを投稿していたが、悲しすぎるふたつの訃報を受け、ライブを楽しむ余裕が無くなり、参戦を止めた。
自分の趣味より重い出来事があったから。


人の一生は本当に分からない。思い出を辿りながら、明日からの生き方を考えさせられた夜。
お世話になった部長と、友達のオカンのご冥福を、心からお祈り申し上げます。
そして時間が、Kや部長のご家族、鉄子ちゃん含めた同僚たちを、優しく癒してくれますように。