思い出の絵本

今日、webのニュースページで訃報を知ったのは夕方だった。その瞬間、私の頭の中は、幼い頃にタイムスリップした。



「絵本作家の佐野洋子さん死去」 。今日の9時54分、乳がんのため74歳でお亡くなりになったそうだ。
佐野洋子さんのお名前を聞いて、誰もが真っ先に頭に浮かぶ絵本は 『100万回生きたねこ』 だろう。でも、私が思い出したのは 『わたしのぼうし』 。この絵本が大好きで大好きで、何回も読んだ。私のお父さんの勤めていた会社は本屋さんもやっていたので、新しい絵本やサイン本などをよく買ってきてくれたから、この本もお父さんがくれたんだったかなぁ。保育園か小学校で販売したのを買ってもらったんだったかなぁ。よく覚えていないけど、とにかく大好きだったことだけは覚えている。数十年経った今でも、1ページ1ページの絵、紙の質感、匂い、全てはっきりと頭に浮かぶ。サーモンピンクの表紙の色、キレイだったなぁ。
私にとっては、 「佐野洋子」 さんというよりも 「さの ようこ」 さんの方が親しみがある。もちろん、 『100万回生きたねこ』 も大好きだ。ずーっと、ほんわかしているだけの絵本が多い中、さのようこさんの絵本は 「あーっ!」 とか 「えーっ!」 とか思わせるタイミングがとても巧みで、 「この先、どうなるの?」 と読み進みたくなる組み立てが、子供のドキドキ心を上手く掴んでいた。
また、読みたいなぁ。実家に眠っている絵本箱を開けたくてたまらなくなった。小さい頃から大人になっても集めていた絵本たち、箱の中に入れられたままで、かわいそう。


学生の時、児童文学の角野栄子先生の講義を受けた。角野先生は有名な方なので授業を取るのも大変で、受けられたのは本当にラッキーだった。先生が書いた 『魔女の宅急便』 がジブリ映画になった頃だったかなぁ。ダンボールいっぱいに黒猫のジジのぬいぐるみが届いてビックリ!とおっしゃっていたような気がする。授業が終わってから、 『魔女の宅急便』 を2冊持っていって、1冊には自分の、もう1冊にはお兄ちゃんの名前を入れてサインを書いてもらったっけ。お兄ちゃんに無理やり頼まれたんだよねぇ。


角野先生が講義の中で、宮沢賢治の 『風の又三郎』 の話をしたことがあった。ちょうど、 『風の又三郎 ガラスのマント』 という映画が作られたことに関連しての、賢治作品についての講義だった。賢治作品を読みあさっていた私は、ノートを取ることも忘れ、角野先生の話に聞き入った。


その中で角野先生は、こういう内容のことをおっしゃっていた。
風の又三郎』 が映画になったということで楽しみにしていましたが、映画を見て、私はとてもがっかりしました。
青々とした田んぼの稲が、風にゴーッと吹かれるシーンを見ましたか?あれは多分、ヘリコプターで上から風を起こして撮った映像です。自然の風は、あんなふうには吹きません。宮沢賢治が見た、稲を揺らす風は、あんな風に上から押し付けるような風ではありません。賢治の育った土地は、どこまでも広い広い田んぼが続く町です。あんなに稲が折れるような、上から稲を潰すような風が吹くはずがありません。あの風は、賢治の風ではありません。
 
児童文学を書く人というのは、単にいろいろ頭の中で想像するだけでなく、風の流れ、その風景、その空気など、本当に細かいところまで見て感じて書いているんだなぁ、ということが分かって、いたく感心したのを覚えている。
自分で撮った宮沢賢治のふるさと花巻の田んぼの写真を見ながら、角野先生の授業風景を思い出した。


今は、こうやって自分記録をちょこちょこと書いているが、これでも昔は書き物をする人になりたかった。絵は昔から下手だったので、学生の時は詩や児童文学を、大人になってからは短編小説やエッセイをちまちまと。もちろんそれらは活字になることもなく、部屋の開かずの引き出しの中に埋もれている。真っ白い原稿用紙の束と一緒に。
いつか、まとめて処分しないといけないなぁ。誰かに発見されたら、穴がなくても自分で掘って穴に入ってしまうだろう。
もっと歳をとって、仕事をしなくてもいい生活になったら、また書き物でもしたいな。それまで山のように残っている真っ白な原稿用紙は、大切にとっておこう。


さのようこさんのご冥福を心よりお祈りいたします。私に素敵な思い出を作ってくださって、本当にありがとうございました。



・・・今日の重量【前回比−0.2kg、基準日比−2.8kg】 ← ほら、お腹を壊しちゃってるから。