同窓会のお知らせ・・・その後

田舎のお母さんから、小学校の同級会(クラス会)があるよ、とメールが届いたのが5日前。 「あとで、清くんから預かった出欠のハガキを送るからね」 と言われていた、そのハガキが今日、届いた。何となく、封筒を開けるのもドキドキ。幹事は誰かなぁ、場所はどこかなぁ、出席できる日かなぁ、など、ハサミでチョキチョキする数秒間に、脳はフル回転。


そして・・・


開けてビックリ!その往復はがきには 「●●中学校 同窓会」 の文字。へっ!?中学校!?小学校じゃないの!?
ありゃりゃ・・・。お母さん、小学校の同級会って言ってたじゃん。中学校だったのか。。。

5日前のメール以降、頭の中は 『三丁目の夕日』 状態だったんだよー。ノスタルジーな日々で小学校の航空写真を準備し、 「同級会日記は、この航空写真を使おーっと!」 なんて準備してたんだよー。顔と名前が一致するように、復習もしたんだよー。おかーさーん!!保育園から一緒の清くんがハガキを持ってきたから勘違いしたんだね。小学校の同級生はみんな、中学校の同窓生でもあるんだよね。しかし、この写真を見て驚いた。プールがあるじゃん!今は、体育の水泳は海じゃないんだね。校舎もキレイになっているね。道路を挟んだ先の海は、何となく砂浜が狭くなった気がする。なぜ海が黒く写っている!?裏山は相変わらず、今にも校舎を飲みこみそうだ。


幹事は、2年生のとき同じクラスだったHちゃん。バスケ部のエースで、カッコ良くて、バレンタインデーには女子からチョコレートをもらうような女子だった。あれ?苗字が変わってない。あんな美人さんで性格が良くって背が高くってモテモテ女子が、何で?みんなに分かるように、敢えて旧姓でハガキを出したとか?でも、会費の振込口座も旧姓だ。独り者には、こんなどうでもいいことが気になってしまう。単身仲間なのか?携帯電話の番号が書いてあるから、連絡してみようかなぁ。でも、中学卒業以来、会ってないもんなぁ。私のこと分かるかなぁ。ウジウジ・・・。


中学校の校舎は、今はもう無い。取り壊されて別の場所に移転し、中学校があった場所は警察署になってしまった。
私たちが通っていた頃の校舎は、古い2階建ての木造校舎だった。大好きでたまらなかった、温かい木造校舎。太くて年季が入ったピカピカに光る階段の手摺りが、特に大好きだった。階段の踊り場が、私のいちばんのお気に入りの場所。元気な男子が階段のずーっと上から踊り場にジャンプしてドーン!と着地し、床が抜けたことがあったっけ。2階にある1年B組の床板の穴からは、下のA組の教室が見えた。窓のガラスは、昔ながらの歪んだガラスだった。
プールがないから小学校同様、夏の水泳は海。海のあとは、髪がベトベトになって嫌だったなぁ。掃除時間の雑巾がけが嫌だったなぁ。みんなで一斉にやるワックスがけも、嫌いだったなぁ。教室入り口の重い木製引き戸は、立て付けが悪くて開閉が本当に大変だったよ。窓からの隙間風が寒かったぁ。でもやっぱり、木の壁は優しくて温かかったなぁ。


中学の時の大親友は、十数年前に仕事中の事故で亡くなってしまった。
彼女を思い出す時はいつも、教室の木の壁に寄りかかってニコニコ笑っている姿だ。彼女とは3年間ずっと同じクラスだったが、思い出すのは2年C組の教室で壁側の席に座っている彼女ばかり。授業中に回した小さなメモたち、好きだった男の子、一緒にピアノで練習したG線上のアリア、好きなコロンの香り、定規を当てて書く角ばった彼女の字、遠出して楽しんだコンサート、ピカピカに光らせた爪磨き、夢中になった深夜のラジオ番組、鼻に人差し指を引っ掛けて笑う彼女のクセ。
私たちふたりしか知らない思い出の数々は懐かしく語られることも無く、あの木造校舎と一緒に、永遠に消えてしまった。でも、中学時代がいちばん楽しかったぁ。校歌も、小中高のなかでいちばん、中学校の校歌が好きだ。 『詩と伝説と憧れの 学びの窓に潮にほふ』 という詞が、鳥肌が立つほど好きだった。


同窓会は正月2日の夜。私の実家は引越しているので、会場までは車で2時間半。しかも、積雪数メートルの山越えがあるので、3時間はかかるだろう。3日の午前中には新幹線に乗って東京に戻ることを考えると、かなりキツイなぁ。本家に泊めてもらったとしても、3日の早朝に出発し、実家に着いて荷造りをして、お土産を買って新幹線に乗るのか。
うーん、たぶん無理!



・・・今日の重量【前回比0kg、基準日比−4.2kg】 ← 減りが止まった。(ナウシカの大ババ様風)