とりあえずできること

今朝、下の日記を書いたあと、お母さんから 「携帯電話の充電があとひと目盛しかない」 とのメール。シガーライターの有無を確認したところ、あるとの返事が届いたので、車載式の充電器を買いに行った。
地震の影響で、電池式の使い捨て充電器はどの店も売り切れ。小型ラジオ、懐中電灯、懐中電灯に使う単1や単2の電池も売り切れだった。東北は車社会。一家に一台じゃなくてひとりに一台が当たり前だ。車載式の充電器を探し、何とか9つ手に入れられた。電気屋さんを何件か回り、名刺サイズの小型ラジオを2台、手に入れた。そのお店のラジオは、私が手に入れた2台で売り切れだそうだ。



東北地方宛の宅配便は受け付けてもらえない。郵便局のゆうパックも同様。郵便物の引受け停止はしていないが、大幅に遅延する地域があるという。それでも届けたい。それしか今は手段がないから。
実家には充電器と小型ラジオを定形外の封筒に入れて送った。難しいことは分かっていても、大船渡市のお兄ちゃんの自宅にも同じ充電器と小型ラジオを送った。宮古市にいる親戚、友達ふたりには充電器を送り、釜石市のお兄ちゃんの学校と大船渡市のお義姉さんの学校、それぞれにも充電器を送った。一般宅より郵便物が届き易いのではないか、と思ったから。
何とか無事にみんなの手に渡りますように、と祈りながらポストへ投函した。



仙台の同僚にも送ろうと思い、社用車が使えているか聞こうと、お店の中から電話をしてみた。何度か掛けてやっと繋がり、事情を説明すると 「今、本社総務のMさんが車で仙台に着いて、食料や水とか必要物資を持ってきてくれたんだよ」 とのこと。東京から12時間掛かって仙台まで運んでくれたそうだ。私もよく知っている男性社員Mさん。その行動力に頭が下がる。 「ちょっと待って。充電器もあるか聞いてみるから」 とのこと。ちょうど同僚の携帯電話に合う車載式の充電器もあったそうで、 「ありがとう。気持ちだけ受け取るよ」 と言われた。同僚に 「Mさんと話す?」 と聞かれたけど、貴重な充電を減らすことはできないので、 「無事に着いて良かった。ありがとうって言っておいて」 とだけ伝えた。
仙台の同僚たちの中にも、家族と連絡が取れない人が何人かいるそうだ。親と兄弟が津波に流されてしまった社員もいるという。どれだけ辛い思いをしていることか。



家で郵便物を作っている時、宮古市に住んでいる同級生Yちゃんからメールが届いた。壊滅的被害と言われた場所に実家があるので、心配していた友人のひとりだ。Yちゃん自身は結婚して市内の別の場所に住んではいるものの、勤務先は行方不明者や火災が多発した山田町。安否がとても心配だった。
Yちゃんもお母さんも無事だった。 「無事に生きています!」 の文字がどれほど嬉しかったことか。実家は、津波に丸ごと呑み込まれたそうだ。病院の管理栄養士をしているYちゃんのメールには、こう書いてあった。
「これから職場に戻り、非常食対応をします。職場はライフラインが一切不通なので、このあとまた連絡が取れないけど、無事でいるので安心してください。宮古市も山田町も、がれきの山になっています。時間が無いので一斉送信ですみません」 と。メールを見ると、私が知らない友達のものであろうアドレスも表示されている。大変な情況の中、無事を知らせてくれてありがとう。
自身も大変な情況の中、Yちゃんは生きている人たちを助けるため、職場へ向かった。公務員だから、ということだけではないと思う。それぞれが自分の出来ることをやり、みんなで助け合っているのだろう。頭が下がる。



お母さんの携帯電話も、圏外になることが多くなってきた。電話をすればわりと繋がっていたのだが、今日はドコモの 「この地域は繋がり辛い」 メッセージが流れるようになってきた。公衆電話から電話をくれたので少しだけ話ができたが、公衆電話にも行列ができているとうことで、あまり長い会話はできなかった。 「お兄ちゃんの学校の名前を言うから、そこに電話してみてくれない?」 と言うお母さん。やっぱり心配しているようだし、沿岸地区は固定電話も不通だということを知らないようだ。それを伝えるとがっかりしていたが、 「ここより情況は酷いだろうから、連絡できないでいるんだろうね」 と言っていた。お母さんがそう考えてくれていることに、少し安心した。



地震の発生時間から考えて、お兄ちゃん家族は4人ともバラバラの場所で被災したはず。私に連絡をくれなくても、家族4人が無事に会えているならそれでいい。