釜石市 被災者のみなさんの温かさ

15日、やっとお兄ちゃんから電話があった、ということと、電話で話した大船渡市と釜石市の様子を日記に書いた。今日現在、その日の日記のリンク元は1522件だった。被災地のことを心配している人たちが、何か少しでも情報を、と検索しているようだ。切実な思いが伝わって来る。



そんなその日の日記に今日、MOTUさんがコメントをくださった。
ときどき寄ってくださっている方々の中にはお見かけしないお名前なので、何かのご縁で私のページを見てくださったのだと思う。
頂いたコメントは、被災地の心配をし、悪い考えばかりが先行している私のコチコチの頭を、静かに優しく溶かしてくださった。ご本人の了解を得たので、そのコメントをここに転記させて頂く。

MOTUさんから19日に頂いたコメント


11日、釜石で被災し、昨日偶然、青森空港に向かう人の車の同乗させてもらい、埼玉まで戻ってきました。
とにかくつらく大変なのは現地の方たちなのに、会う人、会う人、例外なくやさしく気丈に接してもらい、何度も涙が出そうになりましたが、がんばっている人たちの前で自分が泣くわけに行かないので、必死で堪えていました。
初日、毛布がない自分をみんなで囲ってくれたり、まだ救援物資がいつ届くかわからない状態でチョコレートのおすそ分けをいただいたり、NTTで電話待ちしていると、風邪をひいてはと葛根湯と自宅の住所メモをいただいたり…また、よそ者一人では到底、気づけないような情報も親切に教えていただいたりしました。
最後、帰る時、これに懲りず復興したらまた釜石来てください、とも言われました。
もちろん必ずいきます!
その前にこの1週間、頂いた恩をまったく返せずに帰ってきたことが、心残りです。
自分もできることを一つ一つ探し、少しでも現地の方の助けになれたらと思います。


家を失い、家族を失い、突然の出来事に自分達も戸惑っていたであろうその時に、釜石市の被災者の方々は、MOTUさんのことを気遣ってくださったそうだ。寒い夜、心細いMOTUさんにとってその優しさは、どれほど温かかったことか。読んでいて、涙が出てきた。光が見えた気がした。



漁師町の人たちは言葉が荒いと言われる。内陸のおばちゃんたちと話すと 「海側の出身だっしょ?言葉が海訛りだもの」 と言われる。内陸の方の訛りは、もっとねっとりしているから。
言葉は荒いが、気は優しい人たち。いつも他人のことを心配し、手を貸してくれる人たち。うるさいぐらい、おせっかいな人たち。みんなで支えあってきた人たち。大変な災害に遭ったそのときも、それは変わらなかったと知って、何ともたまらない気持ちになった。
自分だったら、そんな風に出来ただろうか。自分のことで頭がいっぱいになって、他人のことなど気が回らないのではないだろうか。釜石市のみなさんの優しさに、私まで心が癒された。



きっとMOTUさんはまた、復興した釜石を訪れるだろう。
そして、その日が来るまでは遠く離れた地で、被災地復興のために自分自身ができることをやり続けるだろう。
その日が一日も早く、来ますように。



●IBC 岩手放送 【IBC安否情報】  http://saigai.ibc.co.jp/anpi/

●テレビ岩手 【被災・安否情報】  http://www.tvi.jp/saigai/

岩手日報 【避難所にいる方々の名簿】  http://www.iwate-np.co.jp/hinanjo/list.html