岩手県あての郵便物について・・・続き

13日(日)、東京都から岩手県紫波郡と被災地の岩手県宮古市、大船渡市、釜石市に送った定形外郵便。
既に到着連絡をもらっていた場所に続き、大船渡市宛の郵便物も無事に届いたと連絡があった。


■13日の15時ぐらいに東京都内のポストに投函。日曜日の午後に投函したので、通常だと15日に着く予定。
16日(水)、岩手県紫波郡紫波町あての郵便が届いたとの連絡。
17日(木)、岩手県宮古市藤の川(磯鶏 商業高校前)あての郵便も届いたとの連絡。
到着日不明、岩手県大船渡市立根町あての郵便も届いていると、21日に連絡あり。


釜石市はまだ連絡がないので分からないが、携帯電話の通信状況があまりよくないので、連絡できないでいるだけかもしれない。NHKのニュースで釜石市も郵便業務を再開した、とやっていたので、そのうち届くと思われる。ヤマト運輸や佐川急便も被災地宛の集荷を再開したが、配達は営業所までとのこと。ガソリンが不足している今、大きなダンボールを営業所までに取りいくのは難しいだろう。暫くは定形外に入るものしか送れないが、無事に届くことが分かった。暮らしている避難所が分かれば、更に確実に届けてもらうことができるだろう。


被災地にいる親戚や友人たちに 「何か必要なもの、ない?」 とメールすると、 「足りているから大丈夫」 「救援物資をもらっているから大丈夫」 と返信が来る。きっと、今までと変わらない生活をしている私には 「足りない」 と感じるものでも、被災地にいる人たちにとっては、生きるためには 「充分」 なのだと思う。電気、水道、ガスがあれば充分だ、と。
物が溢れている場所に居る私が何か送ってあげたい、と思っていても、それら何かは 「あれば助かるが、無くても問題ない」 程度のものなのだろう。自分の生活を改めないといけない、と思い知らされる毎日。


高台にあるため、家が無事だった宮古市にあるうちの本家。坂を下って数分歩いた海の前の地域一帯は、家が津波で流され壊滅的被害と言われた地域。いま本家には、家が流されたご家族が避難してきており、一緒に生活しているという。
牡蠣の養殖をしていたそのご家族は、昼は壊れた家の片付けや海に行き、夜は本家で寝泊りしているそうだ。牡蠣むきが忙しい時期に、本家のおばちゃんがお手伝いに行っていたご家族。娘とふたりで生活していたおばちゃんは、家族が増え、生活に張りがあって良いと言う。不便な生活だろうに、そう言って笑えるおばちゃんは、たくましい。
実は、家が無事だったということで車も使えていると思えていたが、ちょうど車検に出しており、その出した車屋さんがある場所は、津波に全て流された地域。当然、車も一緒に流されただろうとのこと。きっと、うちの被害を全て車が引き受けてくれたんだね、と従妹が言っていた。そうだね、命が助かったんだもんね。
死者や行方不明者の数が発表される度に、そのひとりひとりに家族がいて、友人がいて、それぞれの生活があって、と考えると、とても辛い。生きている私たちができることは、まだまだたくさんある。