まだまだ・・・

昨夜の地震、東京では震度3。結構、長い時間揺れたので怖くなり、途中で逃げられるよう着替えをし、上着を羽織ったほどだった。岩手県内陸に引っ越した私の実家では震度6、お兄ちゃんたちが住んでいる沿岸の町も震度6との速報。
遅い時間だったけど様子が気になり、それぞれの携帯電話にメールをしてみた。少しして、お母さんからメールが返ってきた。ものすごく怖かった、と。ダメ元で電話をしてみたら、すぐに通じた。



いつも夜9時には寝てしまうお父さんとお母さん。昨夜もそうしたが、携帯電話の緊急音で目が覚め、起き上がったときにはもう、揺れが始まっていたそうだ。
洋服箪笥の観音扉がバタバタと開いたり閉まったりを繰り返すので、お母さんはそれを両手で押さえていた。体が不自由なお父さんは着替えをするのも時間が掛かるため、揺れながら洋服に着替えを始めた。明かりを点けようにも停電のため暗く、困った。
揺れが止まったところで懐中電灯を持ち、家の中を確認。仏壇のものは全て落下し、灰もお花も水も全部、畳の上に散らかっていた。食器棚は扉が開かないように対策していたが、中でグラスや食器が倒れていた。ガスと水は問題なかったので、寒さをしのぐため湯たんぽを作った。
大震災以来、枕元に携帯電話と小さいラジオと懐中電灯を置いて寝ている。すぐにラジオのスイッチを入れて、大きな余震だったと知った。暗くて家の中の細かい様子は分からないが、夜が明けてから確認することにして、いまはいつでも逃げられるように厚着をして準備しているところ。
地震のすぐ後、お兄ちゃんからお母さんの携帯電話に安否確認のメールが入り、すぐに返信しようと思ったが怖くて手が震え、 「ふたりとも大丈夫だよ」 と打つのが精一杯だったとのこと。
これが、電話で話したこと。とにかく揺れが大きくて、11日の地震よりももっと怖かった、と言っていた。



今日。東京は、ものすごい突風の一日だった。向かい風だと、ときどき歩けなくて立ち止まらないと前に進めないほどの、強い風だった。朝、お母さんにメールをしたところ、やはり停電が続いている、とのことだった。せっかく営業を始めたガソリンスタンドもスーパーも、全て閉まっているそうだ。今日、実家の電気が復旧したのは、16時半だった。夜になる前に復旧して安心した、とのこと。



いま、大震災の後から正常に機能していない仙台の事務所の仕事を、東京のうちの部署がやっている。昨夜の地震のことが心配で連絡してみたところ、やはり大きな地震だった、エレベーターは止まったまま、せっかく片付けた部屋はまた物が散らかり、昨夜は近くの避難所で過ごした、とのこと。大変な状況だ。
急遽、明日からまた追加で、応援社員を福岡と大阪と東京の支店から派遣することになった。その応援隊のための諸々の準備もしないといけなくなり、久々に事務所でいちばん最後まで残って仕事をした。

いま、私ができることをやるしかない。明日も頑張らねばっ!