その詩に出会ったのは、中学生の頃だった。
たった6行の詩に、私はガツン!とやられた。ガツン!というのは少し違うかな。ゾゾーッと怖くなるような、フワワワーッと夢見心地になるような、いろんな思いで脳ミソがパンパンの、シャボン玉になった。
少しでも何かが触れたら、パーン!とはじけてしまいそうなほどに。


読んだなぁ、寺山修二の詩集。たくさん読んだし、自分でも詩を書いたし、とにかく寺山修二になりたかった。
あの若い頃のパワーって、どこから湧いてくるんだろう。
ああいう、今までの自分が変わってしまうような出会いって、大人になってからはどんどん減っていく気がする。脳スポンジがいろいろ吸い込んでしまって、もう溢れている状態だもんな。新しいモノを吸い込むと、古いものが溢れて消えていく。その濃度は増していくのだけれど、ね。
年齢を重ねるって、そういうことなのかな。





『半分愛して』   寺山修二



半分愛してください
のこりの半分で
だまって海を見ていたいのです


半分愛してください
のこりの半分で
人生を考えてみたいのです