ひとりごと

昨日、仕事を終えて地下鉄に乗った。隣の駅か、その次の駅だっただろうか、何人か乗車してきた中に、白髪のご夫妻と男性がいた。大柄な男性がやたら大きな荷物を持っていたので、気になっていた。
私が座っている座席の向かい、4人掛けの長い座席は、ひとり分だけ空いていた。男性に促されてそこに座った白髪の女性は、ある拉致被害者のお母様だった。
目的の駅で降り、別の路線に乗り換えるために数分ほど歩いたのだが、ご両親も同じルートでの移動だったようで、ずっと後ろについて歩く格好になってしまった。


おふたりとも小柄で、髪は真っ白。長い長い時間、想像もつかないような辛い思いをされてきたのだろう。私なんかには到底、想像もつかないような毎日を。
ご両親の後ろを歩きながら、東日本大震災の直後、連絡がつかない家族を心配して眠れなかった、あの数日間を思い出していた。
自分だけが布団に入って眠っていいのだろうか、温かいご飯を食べていいのだろうか、洗濯された服に着替えていいのだろうか、夜に電気を点けていいのだろうか。何をやっても、被災地にいる家族や友人たちに申し訳なく思った、あの数日間。生きていると分かってからも、電話がなかなか通じない毎日。食べ物はあるのだろうか、着るものはあるのだろうか、チビたちはどうしているのか、困っていることはないか、私にできることはないか、心配は尽きない。
ご両親も、同じように思ったに違いない。いや、何十年も経った今でも、そう思っていらっしゃるだろう。何て辛いことだ。
背中を見て歩きながら、涙が溢れて止まらなくなった。



家に帰ってから見たニュースで、この日が娘さんの誕生日だったことを知った。
『父親にとって娘は特別なものですが、目の前にいないと心から祝ってやることができません。1日も早く無事帰ってきて、本当の意味で 「おめでとう」 と言ってやれる日を待っています』
『本来なら喜ばしい誕生日も私たちにとっては悲しい日でしかありません。ことしこそは帰って来て、みんなでお祝いしたいと待ち望んでいましたが、かなわぬまま、きょうを迎えたことが悲しく、今夜は姿を思い浮かべながら静かに過ごしたい』


TVの画面を通して拝見しているご両親はいつも気丈に、拉致被害者の救出を訴えている。あの小柄な体で、精一杯に。もう、語る言葉も尽きただろう。もどかしい思いだけが重なる毎日が、どれほど辛いことか。


今日は思いの方が強くて、言葉が出てこない、ひとりごと。