帰省一日目、事故から八日目


東京から盛岡までは、新幹線で2時間半。いつもは、本を読んだり音楽を聴いたり眠ったりするのだが、今回は、前の座席の背もたれを見ている間に着いてしまった。そういえば、時間潰しに持って来た本は、キャリーケースに入ったままだ。
とりあえず、実家へ。8月末に退院したおじいちゃん (お父さん) は、元気そうだった。4本足の安定した杖に変わり、少し痩せ、動きがかなり遅くなった。が、ここまで動けるようになったのは、凄いこと。介護するおばあちゃん (お母さん) は疲れた顔をしていて大変なのが伝わってきたが、本人を含め寝たきりの生活を覚悟していた家族にとっては、今のおじいちゃんの姿は、奇跡だ。すごく頑張ったんだよね、リハビリ。凄い、凄い!


お昼前、お義姉さんとふたりで家を出て、チビの病院へ向かった。お義姉さんは車を運転しながら、事故のこと、その長かった夜のこと、チビの容態、家族の様子、周りの人たちの様子、いろんなことを教えてくれた。
恐ろしかった。ドラマや映画のストーリーを聞いているようだった。 「うん、うん」 と返事をするのがやっとだった。お義姉さんからの電話で事故の一報を受けたお兄ちゃんが、暫く号泣して全く話が出来なかった、と聞いて、亡くなったお義姉さんのお葬式でのお兄ちゃんを思い出した。
意識不明の重体で病院に運ばれてからの三日間、お兄ちゃんもお義姉さんも、とにかくチビの姿を見るのが辛く、泣いてばかりだったという。そして、だんだんと受け答えができるようになってきたチビを見て、もう泣くのはやめよう、と決めたそうだ。もう充分泣いたし、チビのこれからのために出来ることは全てやろう、と。
私が得ていたチビ情報は、車に轢かれた時に30メートルぐらい飛ばされたこと、骨がむき出しになっていた左こめかみ付近を縫ったこと、歯が三本やられたこと、坐骨を骨折していること、内臓は損傷がなかったこと、頭を強く打っていること、それぐらいだった。


病室は、ナースステーションの正面。目が離せない重症患者が入る病室だった。が、その中でもチビは、元気だった!
私の顔を見るとニヤッと笑い 「Lちゃ〜ん・・・」 とチビ。この子は、いつもこうだ。久し振りに会った瞬間、 「Lちゃーんっ!」 と満面の笑みで大声で名前を呼ぶということはなく、ゆっくり口角を上げ、ゆっくりと私の名前を呼ぶ。
あー、いつものチビだ。。。


足は深い傷だらけだった。腕は青アザだらけだった。頬には大きなアザを覆うテープが貼られていた。左のこめかみには縫い跡を覆う大きなガーゼ。下の前歯2本は根元だけが残っていた。唇の端に何か黒いものが付いていたので取ってあげようと摘むと、それは口の中を縫った縫い糸だった。看護師の補助付きで歩く様子は、バランスが悪く痛そうだった。ベッドの上でも、左足は自分の両手で持ち上げないとヒザを立てることもできないでいた。夜の事故だったが、事故の日のことは昼間の行動も含め、全く覚えていないという。
じわじわと滲んでくる目を、チビと合わせないようにした。


チビの病室に数時間。いろんな話をした。本人が前向きなことが救いだ。早く学校に行きたくて仕方がない様子に、ホッとする。
帰りの車の中でまた、お義姉さんとチビのことや家族のことを話した。チビが、学校に行きたい、髪が伸びたので切りたいなど言っていることに驚きながらも、安心するという。最初の数日間を考えれば、夢のようだ、と。そうだろうね。その時の姿を見ているんだもんね。


会えなかった間の心配、会えたことでの安心と、会えたからこそ浮かぶ様々な思い。