夏休み2日目 : 宮古市へ

お母さんは毎朝、4時台に起きる。お父さんは5時台に起きる。私は・・・休みなら8時までは起きない。当然、お父さんは私が起きるまでまっていられず、私が起きた頃には朝ご飯を食べ終わっている。今朝は帰省最初の朝だからか、ご飯を食べずに待っていてくれた。私も頑張って7時台におきたもんねー!

今朝もテーブルには、たくさんのおかずが並んでいた。でもやっぱり私が食べたいのは、この夕顔炒めと甘い玉子焼き。私がいる間はずっと、甘い玉子焼きがテーブルに載る。ありがとうね、お母さん。

さてさて、今朝の夕顔。昨夜、お父さんと私の 「ベーコンとかお肉とか入れない、普通の夕顔だけバージョンもいいよね」 という意見が採用され、シンプルに夕顔と青しそのみ。青南蛮ではなく七味。定番の夕顔炒めだ。
昨夜のように炒め過ぎていない夕顔、出来上がりは120点! 「うーん、やっぱりいいねぇ」 と言いながら、ペロリとたいらげた。美味しいわぁ。
「そんな写真、撮ってどうすんの!?」 って言ってたお母さん、こうするんだよー。えへへ。

昨夜、お母さんと相談して、今日は私が生まれ育った宮古市に行くことにした。大震災から、ちょうど5ヶ月の日。早めのお盆ということで親戚の家に行ったり、大震災で亡くなった方々の家を周ってお線香をあげることにした。私は久し振りに、田舎の海を見たかった。明日はチビたち家族が帰ってくるため、日帰り。どうなることやら。時間はいくらあっても足りない。


夏でも季節風ヤマセが吹くために涼しい宮古市。それでも今日は、もの凄く暑かった!運転席の私は、右手が焼ける。海風はどこへ行ったんだ!?お昼少し前だけど、先に最初のお宅に向かった。

到着したのは、お父さんと一緒にリハビリに通っていた方のお宅。その方とは私は面識がないため、ご自宅前に車を止めて、そこで待つことにした。久し振りに会ったその家のおばちゃんはお話好きで、亡くなったおじちゃんの話も尽きず、お父さんとお母さんは1時間以上、戻ってこなかった。自宅前でエンジンを掛けっぱなしにするわけにもいかず、炎天下の車の中で待っていた私。窓を開けても風がないから暑い、暑い!シートを倒してストールを被り、昼寝をしようとしたが、暑くて寝ていられない。もう限界だぁ!と思ったとき、お父さんとお母さんが戻って来た。
「すぐ戻るって言ったのに!」 と私。頭がガンガンに痛いので、お昼を食べずにそのまま親戚の家へ。


お母さんの実家は風がよく通るので、夏でも涼しい。でも今日は風がなく、その家も暑かった。実家のおばちゃんに 「ここが暑いってことは、余程暑いってことだよね」 と言うと、 「昨日・今日は本当にあづくてねぇ」 と言っていた。
実家は高台にあるため、建物は無事だった。でも、数十メートルの坂の下にある地区は、津波で殆ど流された。実家には大震災以来、津波で流されたお宅の家族が住んでいたが、5ヶ月経った昨日、自宅に帰ったとのこと。自宅といっても、流されて無い。新しく建て直し、中はまだ出来上がっていないらしいが、お盆だから気を使って帰ったのかもしれない。おじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃんの仏壇にお線香をあげに来る人もいるし、従兄妹たちも帰ってくるんだもんね。


ご近所のお宅を周ったり、大震災の時の話を聞いたりしながら、体を冷やした。あー、さっきのは軽い熱中症だったのかな。そう思いながら扇風機を独り占めして横になっていたところ、お母さんに 「みっくんのおばちゃんちに行こうと思って電話をしたら、おばちゃんがここまで迎えに来てけるって。一緒に行ぐべぇ」 と言われた。みっくんは私の小学校から高校までの同級生、そのお母さんは私のお母さんのお友達だ。みっくんの家は跡形も無く流された。みっくんのお父さんは、大震災の直後に亡くなった。



みっくんのお母さんはお寺の娘。みっくんはいま、お坊さんだ。私たちが住んでいた海の前の地区は津波で全て流され、今は何も無い。ただの広い更地だ。お寺だけが唯一、撤去されずに残っているが、建物はもう、使い物にならない。6月にもおばちゃんに会って津波の話を聞き、町を車で案内してもらい、最後にお寺を見せてもらったのだが、床には大きな穴がいくつも開き、建物は傾き、大きな釣鐘の塔も跡形もなく流されていた。壇の上に並んでいたお位牌は残っていたが、着るものから仏具、檀家さんの台帳なども全て、流されてしまったそうだ。


いま、みっくんとお母さんは避難所を出て、団地に住んでいる。二間と台所・お風呂だけの部屋だった。やっと納品されたという仏壇には、おじちゃんの写真が笑っていた。お母さんと一緒に、お線香をあげさせてもらった。
もうすぐお通夜に行くというみっくんにも会い、話を聞いた。津波の時のことは、言葉には出来ないと言っていた。みっくんにはふたりの子供がいる。奥さんとふたりの子供は震災後、北海道の奥さんの実家に帰ったままだ。上の子は幼稚園児。津波の恐ろしさを見てしまったため、直後は尋常でない夜泣きが続いて大変だったそうだ。いまもPTSDで病院に通っているという。この間、その娘から幼稚園で初めて描いたという、みっくんの似顔絵が送られてきたそうだ。 「おとうさん」 と描いてあるその似顔絵は、顔は真っ黒、目は真っ赤に塗りつぶされていて、唖然としたという。
大震災にやられたお寺は36あり、ひとつのお寺を建て直すには3億円掛かるそうだ。この先、どうしたらいいか全く分らないが、地元の人に必要とされているから頑張る、と言って着替えをし、お通夜に出掛けて行った。その後姿を見て、うちのお母さんはただただ、 「立派になって・・・」 と涙ぐんでいた。



時間はもう15時半。お昼も食べていないし、実家でお父さんも留守番をしているから、そろそろ帰ることにした。また、おばちゃんに実家まで送ってもらうことになるのだが、おばちゃんが 「魚菜市場に寄っぺし」 と言った。 「もう帰っから、いいよぉ!お盆前でおばちゃんも忙すぅべぇし」 と言ったが、運転手はおばちゃん。そのまま魚菜市場へ連れて行かれた。
宮古の魚菜市場は復活していた。夕方だから人は少なかったが、それでもお店は開いていた。お魚も並んでいた。よく見ると、地ものではなく青森や北海道のお魚もたくさんあるが、それでも市場が開いていることが嬉しかった。この匂い、懐かしいなぁ。
お母さんは宮古に住んでいる時に働いていた加工場の店舗で、懐かしい同僚たちに声を掛けられ、再会を喜こび話し込んでしまった。
あー、また長くなりそうだ。。。


例年なら宮古でも最盛期のウニ。この生ウニ、よく見ると 「北海道産」 と書いてある。他の店舗で売っているウニも、宮古産ではなかった。口開け (ウニ漁解禁) のニュースは岩手日報で見たが、まだ出回るほどじゃないのかな。
でもやっぱり、牛乳瓶に入っている!生ウニは牛乳瓶に入ってないと、だよね。
あー、美味しそう!


魚菜市場で買い物をし、みっくんのおばちゃんに実家まで送ってもらった。おばちゃん、いつもいつも本当にありがとう。うちのお母さんも、いつも感謝しているよ。


実家で少し休み、お盆のお墓用のお花や手作りのお味噌などをもらい、宮古を後にすることにした。今日はお仕事に行っている従妹に会えなかったのと、時間がなくて海を見に行けなかったことが心残り。でも、この空と山と、次回は海にも会いに来るからね!


実家を出て、お母さんが言った。 「結局、お昼ご飯、食べそびれたねぇ。今から蛇の目寿司に行ぐべぇ」 と。私たちが宮古に来ると必ず寄る蛇の目寿司。ここでちらし寿司を食べるのを、みんな楽しみにしている。でも今からお寿司を食べると、盛岡へ向かう山越えが夜遅くなってしまう。 「うーん、運転手としては、あまり暗ぐなんねぇうぢに山越えしてぇんだども・・・」 ということで、夕飯は宮古から盛岡に向かう区界にあるレストランで、ステーキを食べることに決めた。ここからまた、1時間以上、ご飯はお預けだ。
実はこのレストランには無事に到着したのだが、例の牛肉問題で当面の間は牛肉料理はやっていない、とのこと。あー、ここまで我慢したのに。。。家族3人でガッカリ。




このレストランに置いてあったのが、大震災以降、毎日新聞が発行している 「希望新聞」 。フリーペーパーとして、いろんな施設で手に入れることができる。いろんな地域の復興状況や、復興に向けて頑張っている人たちが紹介されている新聞だ。
この号の1面に掲載されていたのは、仙台の小学5年生が書いた詩。
その題は 「ない」 。
大震災後、初めて宮古市に帰ったとき私の口から出たのは 「何も無い」 という言葉ばかりだった。どこに行っても、何も無かった。そこにあったはずのもの、全てが無かった。この詩の奥に隠された、小学生の深い深い思いを感じた。


車で往復200キロ。まぁ、広い岩手ではそれほどの移動距離ではないが、いろんな意味で長い長い一日だった。疲れたぁ!

家に着いて、市場でみっくんのおばちゃんに渡された発砲スチロールのケースを開けて、ビックリ!筋子や銀鮭、柳ガレイ、赤魚、生ウニなど、いろんな海のものが入っていた。魚菜市場でおばちゃんに 「ほらLちゃん、好きなものを選んで!」 と言われた時、私が選んだのは、大好きな筋子だけだった。その筋子も、いつの間にか2種類、3パックも入っている。おばちゃん、いつの間にこんなに買ったの!?
内陸に引っ越した我が家に、いつも宮古のお魚を送ってくれるおばちゃん。お母さんも、このお魚たちを見て驚き、すぐにお礼の電話を掛けていた。夏休みの間にいただこうっと!おばちゃん、本当にありがとう。



お風呂に入ってやっと、一日の終わりを感じた私は、月が明るかったことを思い出して、外に出た。まだ空気は、昼間の暑さを残しているため、生ぬるい。
運よく、流れ星を見た。田舎の空からの、お帰りのメッセージかな。


月明かりを浴びる田んぼの稲は、美しく光っていた。
暗闇だからこその、静かで美しい風景。贅沢な夜。