夏休み3日目 : 自由時間とチビたちの襲撃

昨日の疲れで、ゆっくり起きた朝。
リビングに行くと、お母さんは既に洗濯を終え、お父さんは朝食を食べ終わっていた。娘は最後に起き、シャワーを浴びてから朝ご飯。明日からのお盆の準備もあって忙しいのに、ぐうたら娘で申し訳ないねぇ。ひとりで遅い朝ご飯を食べながら、お母さんに聞いた。 「今日は、お盆の買い物とか準備とかあるんだよね?何をすればいい?」
するとお母さん、 「昨日は一日中、運転手をさせちゃって海も見られなかったから、今日はLの好きなようにお出掛けしていいよ。買い物なら夕方でもいいし。夜にはチビたちが帰ってくるから、Lの時間は無くなるからねぇ」 と言ってくれた。お盆もお正月も、チビたちが帰ってくると彼女たちの襲撃から逃れられなくなるため、合流する前は私だけの休日をもらっている。今回はそれが今日ということだ。
「お盆の買出しができるように、午後は早めに帰ってくるね!」 そう言って、お父さんの車でひとり出掛けた私。今回の行き先は決めていた。


その行き先は、遠野市。先月も鉄子ちゃんと行ったばかりじゃん!でも、今まで何度も行った遠野でも、気になりながら一度も行っていない場所がある。それは、遠野遺産第9号 「山口の水車小屋」 。遠野市の観光マップを見ても端の端、主な観光エリアからポツンと離れた場所にある。いつも 「最後に寄ろう」 と思いながら、時間がなくて行けないでいた。今日はひとりだし、そこだけピンポイントで目指すんだ!


家から大迫町経由で遠野市に入った途端、車のワイパーも追いつかないほどのゲリラ豪雨に遭遇。市街地近辺も、観光客で賑わうカッパ淵近辺も、ものすごい豪雨。レンタルチャリの観光客が、いろんな場所で雨宿りをしている。こりゃぁ、カッパも溺れちゃうね。
傘を持ってこなくて失敗したなぁ、なんて思いながら山口地区を目指して山に向かって車を走らせると、雨雲を抜けたのかピタッと雨が止んだ。止んだ、というより道路も濡れていないので、この辺りは全く雨が降らなかったようだ。遠野市に入る手前からずっと豪雨だったのに、こんなことがあるんだねぇ。
さっきの雨は、夢だったのか!?自分が、遠野の不思議な世界に迷い込んだような気がした。


柳田國男に 「遠野物語」 を伝えた佐々木喜善の生家を過ぎてすぐのところに、その場所はある。車道から見える場所なので、すぐに分った。ひとりなのに、 「わーお!」 と声が出る。

車を降りると、虫の声と鳥の声しか音が無い静かな世界。そしてその中に、大きな水音が。すぐに水車小屋を見るのが何だかもったいなくて、いま車で上ってきた緩い坂道を、歩いて下ってみた、本当に虫の声と鳥の声しかしない。それ以外の音が一切、しないのだ。緑の景色に転々と住居。


あー、 「言葉」 というものを持っていることが残念でならない。見たもの、感じたことを 「言葉」 で表現しようとしてしまうからだ。そしてそれが無理なことだと知るからだ。
きっと私はいま、イイ顔をしている。何となくそう思った。


暫く散策した後、再び水車小屋に向かって歩いた。虫の声と鳥の声だけだった世界に、水音が加わる。近付く毎に、それはどんどん大きくなっていった。
山口の水車小屋。いつ建ったかは分らないそうだが、ずっとこの地区で使われてきたそうで、いまも現役とのこと。
この風景の中に当たり前に、そして必要なものとしてずっと、ここで動いている水車。私なんかが語ったら申し訳ない。静かにするから、見せてくださいね。


水路と水車。幅の狭い水路は水量いっぱいで、勢い良く水車に向かっていく。水車の横板はそれを受け止め、勢い良く回る。水の音、水車の回る音が、虫の声や鳥の声をかき消す。何て心地よい音。ずっと聴いていても飽きない。
動画はこちら


中に入ってみる。外から見ていたイメージよりも、狭い。
農産物の脱穀や製粉をするのが、ここ。水車が回ることで、これらの杵部分が上下し、穴の中を突く。
現役なのかぁ。改めて思う。


こういう屋根や水車の維持も、昔から地区のみんなでやってきたのかなぁ。
地元の方々の日常を勝手に覗いているようで、少し申し訳ない気持ちになる。


だんだん、長居してはいけないような気になってきて、水車小屋を後にすることにした。
私がこの辺りをウロウロしている間に水車小屋を訪れた観光客は2組だけ。みんな静かに近付き、短時間で居なくなった。私と同じような気持ちになったのかなぁ。


水車小屋から離れてお向かいの駐車場に戻ったが、まだこの場所を離れたくなくて、再びウロウロしてみた。


水車小屋の道路を挟んで真向かいにある大きな大きな農家さん。
こんなに立派な夕顔がいっぱいぶら下がっていた。
あー、夏だねぇ。


その農家さんのものだろうか、ずーっと田んぼが広がっているのだが、その田んぼと道路の境目に、大きな鳥居があった。 「道路に鳥居?鳥居の先には田んぼしかないけど・・・」 と不思議に思い、撮った1枚。
実は、この鳥居の真ん中に見える、ずっと先のこんもりした小山に、お堂があったのだ。さっきの夕顔があった大きな農家さんの家と畑の間の細い道に、遠野遺産第58号 「山口の薬師堂」 という立派な看板が立っていた。え?この農家さんの敷地を通っていくの!?心配になりながらも気になるので、細道を山に向かうことにした。


細道を入って少し行くと、脇の畑でおばあちゃんがふたり、畑仕事をしていた。 「通らせてくださーい」 と声をかけると 「どんぞぉ」 と言われた。真っ直ぐな細道の先、山の入り口にはいくつかの鳥居が見える。そして鳥居の前には、びっくりするような巨大な木が立っている。通り過ぎながら、 「あのおっきい木は、松だぁべが?」 と聞いたところ 「そんだぁよぉ」 とおばあちゃん。 「何たら、おっきい松だぁごどぉ」 と言うと 「んだすぺぇ。どごがら来たぁの?」 と逆に聞かれた。 「もりょーが(盛岡)の手前がら来ました。普段は東京さ居っとも」 と言うと、 「あー、嫁コさ行ったぁのぉんね!」 と厳しいひと言。苦笑いの私。
そこから暫く、おばあちゃんたちとお話をした。


岩手は北海道に次ぐ面積の広い土地。方言も、地域によって違う。私が育った宮古市は、言葉が早くて尖り気味。内陸のおばちゃんたちに言わせると 「海訛りはおっかない」 そうだ。盛岡訛りは粘っこく、遠野訛りはのんびりとしていて丸い。おばあちゃんたちの言葉は柔らかく、遠野の風景のように優しい。この言葉を聞いているだけで、体中の毒が抜けていくような気がする。
山の入り口の大きな松のことを話してくれた。もう何百年立っているのか、誰も分からないという。おばあちゃんのおじいちゃんは、先代からそれを守るように引き継いだそうだが、90歳を過ぎたそのおじいちゃんが 「自分が小さかった頃から、あの大きさだった」 というから、どれほど昔から立っているのか。松の枝はもっと立派だったのだが、去年の大雪で折れてしまったそうだ。おばあちゃんは、それをとても残念そうに話していた。
それから薬師様のお堂のことも話してくれた。山の上にあるお堂には薬師様、そして薬師様の上には、十二の神様 (十二神将像) が居るそうだ。 「みんなお堂しか見て来ないけど、扉を開ければ十二の神様が見られるよ」 と遠野言葉で教えてくれた。 「扉を開けてもいいんですか?」 と聞くと 「いいよ。うちらは年寄りで山まで上がれないけど、あなたは若いから。あはは」 と優しい遠野言葉で。
ホーホケキョの声をバックに、おばあちゃんからリアル遠野物語を聞いた私は、柳田國男気分で 「んだば、行ってきまーす!」 と山に向かった。


山の入り口に着いた。
さっきの大きな松は、脇から見るとこんな状態に。手前側の枝は折れて無くなっていた。反対側の枝は地面に届きそうなほど立派だから、こちら側も同じような枝があったんだろうなぁ。さぞかし立派な松だったのだろう。
先祖代々、引き継いだ松。こんな姿になって、どんなにか残念だったか。
それにしても、本当に立派な松。


これが、入り口の鳥居。後ろの方の鳥居は傾いている。その傾いた状態がまた、風景と一体化して、何とも言えない空気だ。
おばあちゃんは、ここを上がるように言っていたが、鳥居を入ったら昼間でも真っ暗だ。おまけに草は伸び放題で、丸太を寝かせた幅の狭い階段も、殆ど見えない。
正直・・・怖い。
例祭は4月だというから、それ以降はそのままなんだろうなぁ。この暑さだから、草もどんどん伸びるだろうし。どうしよう。おばあちゃんに教えてもらったんだから、頑張れ!私。


草ボウボウというのは、こういうことを言うんだね。本当にボウボウだ。1段目、でっかい蜘蛛の巣が道を塞ぐ。脇の茎の硬い草を折って、それを振り回して蜘蛛の巣撤去。うへぇ、蜘蛛、大嫌い!
数段上がると、そこからは凄い状態。蜘蛛の巣はもちろん、虫の死骸、得体の知れない虫、ぐちゃぐちゃの木の実たち。変なモノたちか、行く手を阻む。その度、 「ひゃっ!」 と声が出る。いつの間に、都会ッコになったんだ!?私。子供の頃は、こういう場所で遊びまくっていたのに。


薄暗い場所で、次々と現れるグロいものたち。もう、心臓はバクバクだ。振り返ると、まだこれしか進んでいなかった。さぁ、お堂の扉を開けるんでしょ!と自分に言い聞かせて進む。そしてその途中、ついに階段いっぱいに広がるグニョグニョと、それに群がる虫たちを目にして、 「もうダメだぁ!」 と引き返した。無念。
「ずぐなすめーっ! (根性無しめっ) 」 と言う声がしたような気がしたが、このまま山に入っていったら、自分が遠野物語の主人公になってしまうような気がしてきて、更に怖くなったのだ。
『その都会から来たずぅ娘は、ひとりで山さ入っていって、それっきり戻って来ながったずもな』


ビビリィな私は駐車場に戻ってやっと、現実の世界に戻れたような気がした。山口地区だけだったけど、ドキドキもあったけど、それでも大満足で、遠野を後にした。ふもとの豪雨は上がり、またガリガリに暑くなっていた。



さてさて、お腹が空いてきたぞ。帰りも近道の大迫町経由なので、寄りたいお店はあそこしかない!ウキウキで向かったのは、 「ワインハウス早池峰」 。

大迫町はワインの町。歩道だって、この通り!ブドウの木に囲まれた高台にあるワインハウス早池峰は、私たち家族がお気に入りのレストランだ。
今日はひとりで贅沢しちゃうぞー!


ここのビーフシチューと、ワタリガニのクリームスパゲッティは絶品!大迫チーズを使ったピザも美味しいんだよねぇ。でも今日は迷わず、ステーキをオーダー。だって昨日、区界のレストランで食べられなかったんだもの。そして、ノンアルコールビールも。ランチには少し遅い時間だけど、周りは家族連れだらけ。夏休みだもんね。
ひとりだけ贅沢して申し訳ない。携帯電話で写真を撮り、お母さんにメール。 「あらぁ、昨日は運転手したのにステーキ食べられなかったもんね。ゆっくりしておいで」 とのお返事。はい、お言葉に甘えまーす!


美味しいステーキに大満足!
満腹のまま、坂のすぐ下にある産直に寄った。産直の大きな大きな看板の天辺にはほら、ワイン樽!
さすが!大迫町だね。


まずは、お盆のお花を買おうかな。昨日、宮古からもらってきているから、買い足すのも少しだけでいいね。
菊はたくさんもらったから、トルコキキョウと、ユリと、可愛いピンクの実がついた木と、少し色のある花をいくつか選んだ。
この時期は、どの産直に行っても、こんな風に大きなポリバケツ入ったお花売り場が外に設けられていて、たくさんの人でごった返す。お花屋さんで買うよりも安いもんね。


大きなズッキーニだなぁ、と思ったら何と、カボチャ!ズッキーニはカボチャの仲間だもんね。いやぁ、細長い。どうしちゃったの!?しかも巨大!いつものように携帯電話を置いて写真を撮ってみた。おっきいねぇ。お味はどうなんだろう。うふふ。


キロ単位で売っているキュウリ。漬物用かな?これで600円ぐらいだったかな?安い!


なぜか、オクラもインゲンも、2色入り。何で?何で??
もしかして、お供え用?うーん、不思議。


これは、サル。早池峰例祭の旗の下に、おもりとして付ける。飛騨高山のサルボボとそっくり。どの土地でも信仰は同じなんだね。


こちらは本当のズッキーニ。でっかいなぁ。これで1本80円!


殆ど売れちゃっているけど、手作りお豆腐コーナー。ここのお豆腐は、しっかり硬めでとっても美味しい!もちろん今日も、お買い上げ。四角いお豆腐、寄せ豆腐、豆乳、おから、どれもすぐに売り切れちゃうんだもんねぇ。


お買い物もしたし、ガソリンも満タンにしたし、大満足で家に向かう。早く帰って、お母さんとスーパーに行かないといけないんだもんね。早くしないと、チビたちも帰って来るし。
無事に家に着いてすぐ、お母さんと近所のスーパーへ買い物に行った。いつものお買い物の他に、お盆にお寺に持っていく箱菓子、仏様にお供えする果物や野菜など、大量に買い込む。
大荷物を車に積んで家に戻ると、入れ違いで帰って来ていたチビたちが迎えてくれた。大震災以来の再会。嬉しくて嬉しくて、いつも以上にギューッとハグした。上のお姉ちゃんも下のチビも、ひとまわりもふたまわりも大きくなったような気がした。最高の笑顔も健在だった。あーん、もう!めんこくて、たまらん!!




お兄ちゃんとチビっこたちは朝に大船渡を出て、二戸のひいばぁちゃんの初盆にお線香を上げに行っていた。大船渡から二戸への移動は、岩手の端から端まで移動するようなもの。遠かっただろうねぇ。運転手のお兄ちゃんは大変だぁ!今回は今のお義姉さんは大船渡に残って来ていない。お父さんが入院中で心配だから、とのこと。
二戸は、亡くなったお義姉さんの実家で、農家をしている。いつも、お野菜やお豆さんやお米など、いろんな農作物を送ってくれる。きょうも新鮮なお野菜やニンニクなど、たくさん頂いてきたようだ。


実は今日、また宮古の魚菜市場から海のものが送られて来ていた。送り主は、お母さんの同級生。そのおばちゃんちも、海で全て流された。堤防の前のお家だったから。家の2階に居て逃げなかったお姉ちゃんは家と一緒に流され、奇跡的に救助された。暫く入院生活をしていたが、命が助かって本当に良かった。昨日は時間が遅くなったので、おばちゃんの避難先には寄ることができなかった。
銀鮭と、私の大好きな筋子と、その他いろいろ頂いた。おばちゃん、いつもありがとう。ご近所じゃなくなった今は、お母さんのメル友だもんね。これからも、お母さんの話し相手になってあげてね。



さて、今日から賑やかになった我が家。
みんなで夕食を食べ、チビと一緒にお風呂に入って、誰が誰と一緒に寝るかモメて、お兄ちゃんが持ってきてくれたチビたちの震災後のビデオを観て、みんなで大騒ぎ。


これは、震災後に大船渡で開催されたお祭りで演奏する中学生のお姉ちゃんたち。もともと予定していた吹奏楽部の演奏会が大震災のために中止になってガッカリしていたけど、こうやってイベントで演奏することができて楽しかったそうだ。とにかく暑い日だったそうで、みんなが顔を真っ赤にしながの立派な演奏だった。
このあとに観たのは、6月11日のチャグチャグ馬コの日、下のチビが盛岡まで遊びに行ったビデオ。被災地の子供たちを盛岡にご招待してお祭りで遊んでもらう、というイベントだったそうだ。金魚すくいをしたり、工作をしたり、馬コと一緒に写真を撮ったり、人力車に乗ったり、お友達と楽しく遊ぶチビ。
子供たちは、こうやって少しずつ笑っていくんだね。


チビたちは元気で、大震災のことなど忘れてしまったのかな、と思うほどだ。
でも、中学生のお姉ちゃんは校庭に仮設住宅が建って運動が出来ないというし、小学生のチビは体育館が支援物資の倉庫になっているから使えないという。忘れるどころか、大震災が起こったという事実を証明するものが、常に身近にあるのだ。
この子供たちの未来が明るく輝くものでありますように。チビの寝顔を見ながら、ただただそう祈った。