入院〜手術〜退院まで…手術後3日目

やっとパソコンの電源を入れることができるぐらいの体調になった。
励ましコメントを下さった皆様に感謝します!


さかのぼって18日、手術当日の様子から。
当日は日付の変わった0時から絶食、朝5時から絶飲食。水が飲めないことがこんなに辛いと思わなかった。
前日の寝る前と手術当日の朝に浣腸。うまく我慢することが出来ず失敗。ウォシュレット愛用者なので、温かいもので刺激されるとすぐに、出したくなってしまう。もう、無理!と看護師に泣きついた。



朝から手術前の点滴が始まる。
術後もずっと使う点滴で、輸血が必要な場合も使う点滴針ということで、かなり長く太い。
私は血管が細いため、なかなか刺さらず、3回の失敗を経て4回目に何とか細めの針で入れられた。
おかげで右腕はアザだらけ。
この細めの針では輸血の時に宜しくないようだが、何せ入らないのだから仕方が無い。
ドクターに、輸血が必要になる事態を避けて頂くしかない。


手術30分前、最後のトイレに行った後、足に弾性ストッキングを履く。ぴったりサイズなので、なかなか履けない。
足の付け根まである長いタイプのものを履いた。甲の開いている部分は、術後の数日、足先の様子を見るためにあるようで、看護師がここからペロンと指を出して、足の状態を確認していた。
浴衣に白いストッキング、腕には点滴という凄い格好で、歩いて手術室に向かう。
さすが大学病院、手術室は何室もあり、医療関係のドラマを見ているようだった。

手術室に入ると、幅の狭いベッドを中心に機械がたくさん。麻酔科の先生と看護師さんが笑顔で迎えてくれた。清志郎のCDを渡すと「ライブCDかぁ。初めてだなぁ、こういうの」と笑いながら流してくれた。


いちばん怖かった硬膜外麻酔が始まる。膝を抱えるように背中を丸くし、なにやら印を付けている様子。後ろなので全く見えないが、こまかく説明しながらやってくれるので安心。思っていたよりも痛くなかった。何となく頭がぼや〜んとしてくる。体も、もや〜んとしてくる。ふわふわした不思議な感じ。
その後は点滴が始まり、あっという間に眠ってしまった。
そして、声を掛けられ、目を開けた時にはもう手術は終わっていた。


摘出した筋腫を撮影させて欲しい、とドクターにお願いし、待っていてくれた叔父にカメラを渡していた。病室に戻ってから叔父に確認したところ、きちんと撮ってあるとのこと。良かった良かった。
摘出したのは大きな筋腫ひとつと、小さめの指の先ぐらいの筋腫ひとつの計2個。さすがに画像アップはためらわれるお姿。
お腹はへその下から縦に10センチぐらい切った。いまはホチキスのようなもので止まっている。フランケンみたいなお腹だ。


その夜は、痛みと吐き気に襲われて大変だった。痛かったら硬膜外麻酔の装置を押すと痛み止めの麻薬が出てくるので自分でやってくださいね、と言われたが、装置を押すと麻薬のせいか、同時に吐き気も襲ってくる。吐く時にはお腹に力が入るため、とても痛い。痛い⇒麻薬⇒吐く⇒痛い、の繰り返し。いやぁ、本当にしんどい夜だったぁ。。。


全身麻酔の間に尿管を入れられていた。手術の翌日、歩いてみましょう、と言われヨボヨボと歩いてみた。自分でトイレに行きたかったので、尿管を外してもらう。これは失敗だった。。。術後、今日まではずっと切れ目なく点滴がある。尿管を外した後は、夜中でも自分でトイレに行く必要がある。痛いお腹を抱えて夜中に何度もトイレに行くのはしんどい!点滴が終わるまでは外さなければ良かったなぁ、と反省。


食事は、手術2日後の昼まで絶飲食。お腹が空いて死にそうだった。私は術後のガスが出なかったので、ガスが出るまでは絶飲食が続くからなるべく歩いてガスを出して、と言われる。できるだけ歩くが、ガスは出ない。出ないというより出せないと言ったほうがいいかも。大部屋にいるので、ガスが降りてきても出さないように自然に我慢してしまうのだ。無意識にそうしてしまうので困ったもんだ。レディーな部分が災いしたかぁ?


昨日の昼から出された食事は流動食。カップに4種類出てきたが、どれが何だか、見た目では区別がつかない。どれも白くてドロドロしている。普通に食べられることの幸せを痛感。今日もまだまだ流動食だが、ダイエットだと思って我慢しようっと。


いまは終わった安心感と傷の痛みと延々続く点滴にうんざりなのと腰が痛いのと、そんなこんながごちゃまぜになっている。
もう少し頭を整理して、また書こう。
とにかく看護師さんが親切なことには感謝!感謝!の毎日。ホント、頭が下がります。。。


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