帰省4日目・・・グダグダの最終日

4日間のお休みなんて、あっという間。もう最終日だ。



朝、のんびり起きると、ご飯を食べていないのは私だけだった。おかずはお母さんが作ってくれていて、あとはご飯と味噌汁を・・・という状態だったが、そういえば宮古で買ってきた大好きな相馬屋のあんぱんの賞味期限、今日までだったよね?
ということで、ご飯用のおかずにあんぱん、という奇妙な朝ご飯。どれも好きなものだらけだからイイんだもーん!

相馬屋さんの 「あん」 は、やっぱり美味しい!パンも、少し甘みがあって、ふわふわ柔らかくて美味しいわぁ。わたしにとっての宮古の味。


朝ご飯のあと、外に出てみた。今日は東京に帰るだけだから、何の予定もない。のんびり、田んぼのあぜ道をお散歩。
今日も暑い。
真っ青な空に、真っ白な雲。これ以上の白はない!というほどの、光る白い雲。
3ヶ月前、あの恐ろしいことを引き起こしたのも自然、こうやって穏やかに静かに存在しているのも自然。


眩しいほどの風景。
田んぼの稲たち、このまま順調に育って欲しいね。
お盆に帰ってくる頃は、もっと背が伸びて、青い袋にお米が入っているんだろうなぁ。楽しみ!



宮古で悲惨な状況を見て、悲しい話を聞いてから、いろいろ考えた。たぶん私だけじゃなく、お母さんもそれは同じだろう。内陸に引っ越した、この家で普通の生活を過ごしながら、頭の中にはあの、宮古の風景があった。普通の会話をしながらも、心は不安定だった。


いつも私が東京に戻る時は重い荷物を宅配便で東京に送ってもらうようにしている。そのため、帰る当日は、お母さんがいろいろ聞いてくる。何日に着くように送る?お野菜も入れる?お赤飯を作って入れようか?栄養剤は?お菓子は?シャンプーは?など、質問攻めだ。
今日も、同じだった。私は特に必要なものもなかったし、東京は暑くて食べ物は悪くなってしまうから、お母さんが荷物に入れたいという色んな食材を断った。 「悪くなるから要らないよ」 という私に、 「でも、無いより有るほうがいいでしょ?」 とお母さん。腐ってしまったら元も子もないなのに。 「暑くて悪くなっちゃうからさぁ」 という私。 「でも・・・」 と食い下がるお母さん。お母さんは、悪くなってもとりあえず持って行く人だ。
ここでお互い 「もーっ!」 という状態になっていた。


うちから最寄駅までは少し距離があるので、お父さんが駅まで車で送ってくれる。運転席にお父さん、助手席に私、後ろにお母さん。3人で駅に向かった。
車中でお母さんが 「駅のホームまで行った方がいい?」 と聞いてきた。私は 「いいよ、駅の前で降ろしてくれれば」 と言った。すると突然、お母さんが泣き出した。 「どうしてうちの子供たちは、親の気持ちが分らないんだろう。他の家の子供はもっと優しいのに、どうしてうちの子は・・・」 と。
最初、意味が分らなかった。駅には、電車が来る15分も前に到着する。このクソ暑い日に、15分もホームで一緒に待つのも大変だし、車中で待っているお父さんも大変だろう。そう思ったから断ったのに、何で?何で泣くの?
それから駅に着くまで、泣き続けたお母さん。 「もう、生きているのが嫌になった」 「こんなに心配しているのに、子供たちには何も伝わらない」 など、どんどん言ってくる。最初は申し訳ないなぁ、と思っていた私も、そこまで言われて腹が立ってきた。こっちの気持ちだって、伝わっていないじゃん。


結局、駅で降ろしてもらい、そのまま別れた。とても気分が悪かった。お母さんの言いたいこと、気持ちも分るけど、そこまで言うか!?冷たい息子と娘で悪かったわね。
これからまた、お盆まで会えないのに、泣くこと無いじゃん。もう。。。


盛岡駅でお土産を買い、新幹線に乗った。まだ、お母さんのことが気になった。とりあえず、 「無事に新幹線に乗りました」 とメールしておいた。暫くして、お母さんからメールが来た。さっきの暴言の謝罪と、子供たちには感謝していること、気持ちが少しおかしいということが書いてあった。
生まれ育った土地ががれきの山になった状態を見て、故郷を失うことの悲しさを知った。
必死に逃げた、津波に逃れた、恐ろしかった話をたくさん聞いて、家族の大切さを改めて感じた。
家を失い、一切のモノを失い、避難所で不自由な生活を送っている話を聞いて、普通に生活ができている有難みを再認識した。
誰もが今まで経験したことの無い出来事に、心のバランスを崩している。


お母さんに返信した。またすぐ、お盆には帰るから、と。